人と人とのつながりについて

2020年12月29日

www.pakutaso.com人と人とのつながりについて考えています。

人は人と繋がりたい気持ちは持っているのだと思う。

そもそも繋がるってなんなのだろうなどとね。

 

繋がりたい究極は

やはり恋愛になるのかな?

共にいることで安心するし、同じ場を共有することでの充実感や自分の存在意義なども感じるのでしょう。

 

でも残念ながらそれは長くは続かない。

ハネムーン期特有の勘違いがあるし

「一人でいるよりは」などという打算も生じてくるよね。

その頃は本当に好きだった(と思っていた)し、気付いていなかったけれど、振り返り冷静に見返すと私はそうだったと思います。

共にいることが目的化し

そこから深い会話をしたり、自分の考えを言ってみたり

相手の考えを聞いたり、それについて共感したり私はこう思うと言ったり

 

私はそういうものを望んでいたけれど

過去の私は全くそれを得られなかった。

むしろ相手から求められていたものは、見た目や相手の投影による女性像だったのだと気づきます。

それがすごく嫌で嫌だけど私の方も生活の安定という妥協点があったから

その中で心を通い合わせたいと願っても叶わなくて途方に暮れてたんですよね。

 

世の中の夫婦は

皆どんな会話をしているのだろうと改めて思います。

それは今私が、先ほど願っていたような出会いがあったからなんだけど、

その出会いの中には

毎日話し足りない感じともっともっと話したい欲望が渦巻いて

そんな経験初めてで

すごく不思議なんです。

 

あまりに今までの出会いと違いすぎて

私の超自我は

「本当にこの人でいいの?」「別にこの人がいなくても大丈夫だよ」と、うそぶくのですが

彼が入院してしまえば

家の中がセピア色になり何をしても面白くなくなってしまう。

うそぶく私は、半分はあまりの初体験に頭と体が違和感を感じているのだろうし

半分は本当の別れが来ても立ち直れるように自分を守っているのだと思う。

 

そういう自分がいて

こんな不思議な体験はそうないだろうと思うと

世の中は妥協の塊なのかもと感じたりする。

最初は純粋であっても。

もちろん、妥協が悪いわけではないけれど

でも求めているものをしっかり手に入れてみると

全然違う毎日に驚くばかりだ。

 

彼も結婚を経験していて

そこでも心を通い合わせたいと強く願って、それだけを求めてきたけれど

どうしてもそこを得られなかった。

心を開くことは

精神分析いうところの解体破滅不安を呼び起こすようで

跳ね除けられ続けてしまう。

 

つまり心の奥底では心が繋がることは求められていなかったということ。

心を開いてしまえれば

こんなに楽な関係はないと思うのに

それがこんなに難しいことだとは。

 

もちろん、心を開きたくない人は

こういった臨床の場には現れないから

私は出会う機会はないのかもしれないけれど

人間の心の奥深さとせつなさを感じています。

繋がるってとても楽で気持ち良くて幸せ。この年齢になったから感じられるのかもしれないなぁと思う今日この頃。