日記2 2014年04月15日~2018年11月18日
スキーマ療法
2018年11月18日
10月27&28日にJoan先生のスキーマ療法のワークショップに参加してきました。
スキーマ療法というのは?
元々は認知行動療法から出発したものなのですが
認知行動療法は、日常の様々な悩みに
(悩みなんて簡単なレベルでないものも)
対応していますが
スキーマ療法は、もっと人間の根源的な悩みを扱います。
それは
生きることの辛さ
日常生活を送ることの困難さ
空虚感
解離
と言ったものです。
私は元々ゲシュタルトセラピーを長く学んでいましたので
こころとからだのつながりのアプローチが得意ですし、好きなのです。
ひとりのこころ
2018年03月16日
心のことを仕事にしているけれど
やっぱり難しいなって思います。
何が難しいか。。。
当たり前ですが、人は一人一人違う生き物だからです。
今も母は健在ですが
結局母と分かり合おうということは諦めました。
諦めるというと、何か後悔とか相手を責める気持ちとか残りがちですが
散々私自身母とのことをワークしてきて、そして現実の母を見て、話をして
諦めたんですね。
そして残ったことは、それでも母を愛している自分という存在でした。
母に理解されたい、せつないほどの想いをパンパンに持っていましたから
母を心底嫌いになどなれないのです。
そういえば、友人に親なんか早く死んでくれたらいいと話している人がいましたが
大嫌いと言いつつ、お母さんから電話がかかってくるとすごく嬉しそうな表情しているんですね。
それを指摘したらめちゃ怒られましたが。
話ずれました。
大嫌いだけど大好き
今の私の母への想いです。とても満足しています。
実は私は父親とは5歳のときに別れています。
私は父親っ子でしたから、ずっとバリバリのファザコン街道まっしぐらでした。
パパみたいな人はどこかにいないかな?
そんな感じ(笑)
しかし、数年前に居場所が分かったのですが、意識に全くと言っていいほど登らない私がいました。
今なら「あーこれが防衛機制の否認」なんだと実感です。
きっと会いに行って受け入れられなかったらと考えるのも恐ろしかったのでしょうね。
なんだかそんな自分を今見つめて、「なんて健気なんだろう」って思います。自画自賛でごめんなさい。
なぜここまで分析できたのか
それは昨年末に父が亡くなったことがわかったからなんです。
ものすごいショックで、思いきり体調崩して次々病が襲ってきてね。
そしてそこから学んだことも多かった。
ファザコン解消です。
人は皆ひとりで生きていくのだと覚悟がついた、それは思考ではなく心から思ったようで
それまで時折襲ってきた「不安」という種が全く私を襲わなくなったんです。
その辺りのことはこちらに詳しく載っています。
松戸 みゆきさんの投稿 2018年1月26日金曜日
これが根本だったのかって感じでした。
それまでも自分を愛する取り組みや自分を癒す取り組みを数多くやってきたんだけど極め付けって感じでね。
何が言いたいのかというと
人は皆ひとりってことなんです。
どんなにわかりあいたい、分かり合えたつもりでも
結局のところはわかりあえないんだってね
いや、孤独に生きろでは全くない。
むしろひとりを実感するからこそ、他人に優しくできると思うのです。
相手を責めるって、自分の思うようにしたい気持ち、気持ちをわかってほしい切望が隠れているから。
しかし、ひとりに腹をくくれると
人生変わるんだなってつくづく感じています。
そして多くの人間関係の悩みは
こういうことが関わっていると思います。
しかしこれを読んで「そうか!ひとりを実感すればいいんだな」という風にはならないのが人の心。
切望して、あがいて、ほしいと言ってみて、やるだけのことはやったというある種の充実感も必須なんです。
簡単にはいかない。でも取り組む価値がある。
今は、そんな風に感じています。
2018年です
2018年01月01日
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年はどんな年になるのでしょう?
私は昨年、大きな変化の年を迎えました。
変化の大きさに体がついていかず、体調を崩すこともあり、そんな自分に自分の有り様を見つめていました。
どういことかって?
その一つをお伝えしますと
それは考えてみれば今の社会の縮図だと思います。
例えばたとえ高熱であっても私は仕事は休めないです。
私は自営業。契約を反故すれば次の仕事は来ない立場です。
しかし
それは私だけではなく、多くの人が感じていることではないでしょうか?
それでも私はまだしたい仕事ですから、贅沢な悩みかもしれません。
でも仕方なくその仕事をしている時、どれほど虚しさを感じながら体調の悪さを押して仕事に向かうのか?
思うのです。
でもその「仕方なく」の立場を選んでいるのもその人なので
私が何かを言える立場ではありません。
冷たいでしょうか。そうかもしれません。
先ほど「グッド・ウイル・ハンティング」観ていました。
その映画ではセラピーの有り様を表現していました。
共感できるような単直なような
逆にセラピストとしてあのようにいられるのか
いろいろな思いが混走しました。
あなたはどんなセラピストに話をしたいですか?
私なら?
自分の経験に嘘なくクライエントの前にいていいのだとこの映画に教えてもらった気がします。
今年はもう少し自分に自由になれるかもしれないです。
あなたの有り様にしっかり向かい合える自分であろうと思います。
自分の有り様にしっかり向かい合えることが私の長所ですから今年もどうぞよろしくお願いいたします。
朝の出来事
2017年07月05日
今私の前にいた人が席に座った
ちょっとムカついた
なんでムカついたか、考えてみました
心の中に「本当なら私が座れたのに」って。
(あーちいさい)
でも座りたいって、混んでいればなおさら普通の感覚
さらに
なんで「私が?」って思ったのかな?と気持ちを探ってみた
前の人
乗ってきた時から
私を押すように、なんか圧がかかっていたことに気づいた
そこでこの気持ちの由来がわかった
「少し圧をかけられて小さなイライラが私の中に起こった」
↓
「圧をかけられながら、周囲の人が下車するのを機にベスト立ち位置に移動」
↓
「運良く座った」
つまり私は、効率よく立ち回れなかった自分に腹が立っていたのに
それを小さな圧をかけた前の人に責任を押し付けたわけだね
✳︎これは別に私のせこい体験を披露したいのではなく
こうした自分の心の動きに敏感になることのススメなんです
怒りや悲しみの根っこには
その出来事の前の小さな心の動きがあるものなのです
そこを見つめていくことは、大切なこと
無駄に感情に埋もれて1日を過ごさないためにもね
今日も良き日になりますように。
発達の多様性
2017年05月25日
先日NHKで、発達障がいについての番組があったことで
ニッチな環境ではあっても
興味、関心の高まりを勝手に感じています
今年度は、それぞれの発達の凹凸を調べる心理検査の仕事も始まり
診断はしなくても
本人、親御さん、学校への影響を考えて
所見にはいつも頭を悩ませ、低血糖気味が続いています(ジョーク)
発達の凹凸については
それが差別につながることは、言語道断
人はどこまでもスペクトラムで
線引きは、神ではなく人間がしていることでしかない
そう思っています
と、同時に
その人の困りごとに寄り添う視点は発達障害有無に関わらず必要なことだと思うのです
何も困りごとなく、大人になれる人は少なく
生きる経験の浅い人ほど
方策が見つからないのは当たり前だから
また、
生まれつき凹凸の激しい人と
診断は決してイコールではなく
突き抜けて世界的に有名な凹凸の激しい方々を指差して
「発達障害だ」とは、言われないし言わない
診断は、その人の脳の個性と共に
環境がその人にとって大きな負荷となり
ストレスが一定以上になり、何らかしらの病的な症状を有してきたときに
つくものだと思うのです
しかし
日本は、発達障害を巡っては
マイナスの見方をする本人、環境もあれば
逆に、診断がつくことで
今までの生きづらさの理由がわかり
これからに希望を抱くこともあるので
上記のような思いを抱きつつ
診断をつける意味は
個別に変わってくるのだとも思っています
でも本来は違うと思う
日本はいつになったらそうなるのかな?
例えば(確かデンマークだった気がーうる覚え)小学校の勉強を一斉授業ではなく
それぞれが、それぞれのペースで学んでいくと読んだ
もちろん競争するから、伸びるという考えもあるだろう
しかし先日検査した子の中に、その子の伸びたい力を見た思いがしました
それは
大人からは、直してほしいところがあると見られていた子だが
自分に自然と負荷をかけていました
こういう些細な場面に
どこかに苦手さがあっても
自分に諦めずに努力する姿をみる思いです
周囲の人が
この子は直してほしいところがある子
とみるか
この子は自分の脳の特性はあっても
精一杯ある能力を、生かそうとしてる子
とみるかでは、
この子の将来は全く違うものになると思うのです
脳の機能を超えた人の力を信じたい
最近よく言われる多様性
それがどこかの看板ではなく
それぞれが自分自身も含めて
多様性の、一員なのだと気づいてほしい
私は、今の仕事でそのことを周囲に伝えたいし
カウンセリングの場面でも
「あなたはこの世の中でかけがえのない
取り替えのきかない唯一の人なんだ」
そう思い、接しています
葛藤
2017年05月21日
今夜は「葛藤」ということを思っています
人の多くは、私も含めて様々な場面で葛藤します
こうありたい、あるべきという気持ちと
こうしかできない、こうだったという気持ち
自分に言い聞かすように。。
葛藤しないことがいいことではない
葛藤は一生懸命生きようとしている証だし
もしかしたら
自身の葛藤場面を見ないようにしているだけかもしれないから
そして葛藤している時は大概
相手があって
相手がいるからこそ、葛藤するとも言える
とても孤独な時には
葛藤できることにすら、羨望の眼差しがあったりする
そんなことも思う
しかし
葛藤している本人にしたら
それは紛れもなく辛いことに違いない
と、同時に
葛藤は、どちらかを否定することで成り立っているとも思う
そう考えると
どちらも否定しない道もあるのだと
ふと気付いたりする
自分の気持ちもありのままに大切にし
相手の有り様も否定しない道
最近、私は自分の気持ちを率直に相手に伝えるようにしている
そこに何らかの注釈を入れずに、素直な気持ちを伝えようとする
もちろん実際には言えない相手もいるわけだが
そんな相手にも
自分の思いは心で伝えている
「伝えない」という選択もあるが
やっぱり見ていると抑制が働いている気がする
全く自分自身がすっきりしているようには見えない
そして同時に
伝えても、相手の行動を抑制する訳ではないよね
あなたはあなたの気持ちを大切にすればいいだけ
だって相手が何を選ぼうとそれは別の問題でしょ?
(これってすごく大切なことだと思う)
家族とか、夫婦とか、恋人とか、子供とか
ごくごく身近であるほどに
自分の気持ちを率直に伝えることってできそうでできない
そこには相手への思いや、憎しみや、愛が混走するから
当たり前だけど
そこには愛があり、情があるから
人って複雑
そして人って単純
やっぱり自分が思っている以外にはならず
自分が思っていることを自身で否定すれば
自分が病気になったり、自分が苦しくなるだけだから
あなたの本心はどこにありますか?
WISC-Ⅳ検査に寄せて
2017年04月16日
WISC心理検査の仕事を今年からしています。
いくら学んでも学び足りない思い。
WISCの勉強をしていると
どの子も
いや、どの人も
自分のできる精一杯をしているということがよくわかる
子どものことでの例えなら
友人関係で、「わ〜っ!」と怒りで行動し、関係をこじらせてしまう理由の背景に
「相手の子がいった文言の全てを理解しきれない短期記憶の弱さがあり、さらに多動という反応の良さがあったりする」
だから、耳に入った単語に反応し、パッと手が出るわけです。
片付けられないといえば、良くないですがそういう方は視覚が有意に強く、様々な情報が目に入ってしまい、混乱し、分類が難しいのです。
また発達とは関係ない大人でも、ゆったりとしていて
他の人と同じペースでこなせない方とかいらっしゃいます。
そういう方は処理速度がのんびりしているわけであって
その人があえて遅くしてズルしようとしているわけではないのです。
その逆で言えば、スピードは速いけど間違いが多いというパターン。うっかりミスさえも、その人個人の責任ではなく、その人の持っている脳のつくりというか働き方に関係しているのです。
コツコツ頑張るタイプもいれば直感型もいる
マインドマップのように視覚的な働きかけが有効な方もいれば
耳から入れる方が優位な方もいる
そりゃぁ、すべてに満遍なくできる人がいいのだろうけど
案外そういう人は、どこか一つにものすごく秀でている人に劣等感抱いたりするから
話はややこしい。
でもね、どの人も自分の脳に忠実に頑張ってるんだなって思う。
だからこそ
まだ伸びしろが多い子供への接し方は気をつけて欲しい。
そしてすでに大人な人には、自分を責める無意味に気づいて欲しい。
そう言って自分に言い訳する私は、自分が大好き♡
カウンセリングの中で描いた絵
2017年04月12日
「小さな種から芽が出て、自分でも自分を育て、周囲からも栄養をもらってここまできました。
まっすぐ伸びてきた時も、少し曲がった時もありながら今のあなたがいます。
そんな今の自分を書いてみてください」
この絵はこんな言葉とともに書いてもらった絵です。
この絵の解釈はしませんが
この方の思いを感じてもらえたらと思います。
この方の優しさがとてもよく表現されていますよね
カウンセラーにできること
2017年03月05日
カウンセラーに何ができるのか?
人は千差万別で、あるカウンセラーに合う人がいれば合わない人もいる。
合いすぎて苦しくなる人もいるし
合うことでホッとする人もいる。
全く合わなくて、腹が立ちわかってもらおうとつくろっていた仮面が自然と脱げちゃう人もいれば
腹立てて帰ってしまう人もいる。
それは人間同士の作用と
それぞれの自己理解の程度によるから
何が良い悪いとは言えない
カウンセリングは単なる世間話ではないし
本来、愚痴の放出場所とも違う
でも面白いのは愚痴でも話しているうちに
糸がほぐれるきっかけが出てきたりすること
もちろんそれを望んでいないければ口では「ほぐしたい」と言ってもほぐれてはこない
他人には普段話すことのない
できたらなかったことにしておきたいあれこれは
時として自分を苦しめ、追い詰めてくる
なかったことになどしておかないとばかりに
自分自身を責めてくる
そんな時
カウンセラーに話をすることで
少し救われたり
ようやく話をすることができた安堵感だったり
今まで考えもしなかった視点を提供してくれたりする
人は自分を信頼してくれる他人がいることで
今日を生きられる
カウンセラーとの関係は人生の一時ではあるけれど
支えになるのだと思う
そしていつか自分を信頼し
自分を杖に、周囲を助けにする術を身につけ
生きていくのだと思う
私もそんなカウンセラ−でいられるよう、研鑽を積んでいきたい
親との確執がある方へ
2017年01月09日
私自身、母とはかつて大きく確執がありました。
一番自分が支えて欲しかった時、母は、自己保身に走ったと思えたし
愛されたいと、強く願った相手だからこそ
満たされない辛さは
例えようもない底無しのものと感じた時もありました。
私もカウンセラーとして一人前になるために
母との事は自分なりに腑に落ちないといけないことだったし
ずっとワークで取り組んできたことでした。
仲間は当然ご存知ですが
母への思いのたけを叫ぶ中で、私自身が相当に癒されてきました。
愛憎が、関わる事は決して綺麗事ではうまくいかないのです。
こんな風に
自分の中の思いを表明し、頭ではなく腑に落ちる過程を繰り返す事で
私の中への母への思いが変わっていきました。
人と人との関係というのは例えるなら磁場のようにそれぞれの力関係の中で
一度できた関係はそれを変える事はなかなか大変といいます。
また、磁石を近づけた砂鉄の地面のように
そこでできた模様はそれぞれの立場やありようが複雑に絡み合うものです。
さらに、人はその環境に大きく影響されるといいますが
その磁場であり、砂鉄の模様であり、環境というのは
自分自身も大きく関与しているのだと改めて知りました。
私があれだけ嫌ったあのセリフ、あの言い回し
そこから透けて見えていたものは
母から、すっかり影を潜め
私が感じたのは、母なりの仕方で私を確かに愛してくれていたという事実でした。
さて
ここでどうしてこんなに母が変わったのだろう?と思う事は
誰もが思う当たり前のことですが
それは他でもない私自身が変わったことに違いありません
何年かかったことでしょう
母は、多分変わっていないのです。
でも以前の私の視線の端から感じさせる批判的な気持ち、母の言葉を保身というフィルターをかけて見ている私の思考
それらが母の言葉を、行動を作っていたのだと気づきます。
私の場合は、母との関係でしたが
夫婦間、親子間、職場内
様々な場でも自分が変わることで周囲が変わる可能性は大きいものと思います。
もちろんその中にはかつての私のように諦めるという選択もありですね。
梅干し
2016年12月31日
手帳を整理していましたら
どこかで載っていた記事だと思うのですが
書き写した文章が出てきました。
改めて書き記しておこうと日記にしています。
皆さんは梅干しを見るとどうなりますか?
「梅干し」という言葉を口にしただけで、口中に唾がたまってくるのではないでしょうか。💦
それは【梅干し=酸っぱい】と条件づけられているのですね。
でもそれは梅干しに限りません。
カウンセリングの中で辛い話ばかり何度も話させるとその度にトラウマを強化することがあります。
辛い経験を何度も再体験することになりかねません。
また自分自身の思考の癖もそうです。
「自分はなんでいつもうまくできないんだ」「私はいつも不幸だ」
そういう言葉を繰り返し口にすることで、うまくいったことには焦点が当たらず、失敗したことばかりを自分で認識することになるからです。(本当はうまくいってることもあるものです)
同じように親が子供に「あんたは本当にダメだね」といつも言っていたら、その子どもの今後はその子の生きる力に任されたものとなるでしょう。
何もポジティブになれと言ってる訳ではありません。
極端にポジティブな言葉ばかりいう人は、逆にネガティブに意識があるからポジティブにあろうとするともいえます。
でも
人は誰でも幸せになりたいと思ってることに間違いはないと思っています。
自分を幸せにすることに少し貪欲であってもいいと思うのです。
そんなことを思いつつ
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
ひとりの良さ
2016年12月21日
ひとりって良いものです
もちろんそこには「ひとりでない」という気持ちも必要です
ひとりというのは、外から見てひとりというのと
自身の内でひとりと感じている
両方があります
特に自身の内で感じているひとりは
心にあまり良い影響は与えないものです
結婚していても孤独を感じている人は沢山いますし
ひとりでも充実している人もいます
そこは色々な想いがあるわけですね
珈琲店で、カプチーノを飲みながら、ひとりの良さを今まさに感じています
カップを手で包み込んでカプチーノを飲んでいると
カップの温かみが、私の指に伝わってきます
最初は少し指が痛い感じから
徐々に温かみが指の内部にも広がっていきます
それを充分に感じながら
液体を口に含むと、口の中が一瞬で満たされていきます
「ゴックン」喉や気管支がカラカラになっていたので、液体が胃に落ちていく感覚をしっかり味わえます
また、手の温もりに意識を向けてから
飲む行為に戻っていく
これを繰り返していき
最後に、胃袋が満たされ
身体がゆるむ感覚を存分に味わい尽くしていく
私はよくこうして自分の内の感覚を少し俯瞰的に眺めます
自分を知る行為、自分を味わう行為は
自分というものの危うさを感じやすい現代人には、特に必要だと思っています。
これは、認知行動療法の手法の一つで、自分の感覚を味わい尽くすために
クライエントさんにもよくおすすめします
マインドフルに味わい、物事に向かう姿勢を身につけるための簡単で確実な方法です
こんな事は、誰かといたらできるものではありません
自分の内なる感覚に浸らなければ
微細な心理的、身体的変化に気づくことなどできません
自分の内を充実させることに繋がるマインドフルネス
とてもおすすめです。
想いを言葉にする事で
2016年11月16日
人は経験の中で
思いもよらない事が起き、それはその出来事に翻弄され悩むわけです。
過去にはこんな事もありました。
娘から「お母さんが家を出たとき、私のせいで出ていったのではないかと、自分を責めたし、とても悩んだ」と。
もうその話しをした頃は
彼女も大人を理解できるようになっていましたから
事実を伝え、謝り、今の幸せを噛み締めたのですが
先日その話しをしたところ
「そんなこと言った?」全く記憶にないのです。
とても驚きました。
これが母である私に伝えられなかったら
今も確実に彼女の心にそれは残るでしょうし
悩みは、心に留めおくほどに大きくなっていくものなので
大きな悩みは私を含めた周囲への憎しみになっていったかもしれません。
その悩みも
伝えられたら、伝えてしまえば
あった事も忘れてしまうほどの些細なことになるのかと。
この娘が特別忘れっぽいとか、そんな憶測はなしです。
あなただって過去に経験した気になった出来事は、今も心に残っているでしょ。
心ってそういうものです。
トラウマ、PTSDという言葉をよく聞きます。
私は、多くの人が心の傷としてこういったものを抱えているのだと思っています。
さらにトラウマは、悪いイメージを持ちがちですが、その出来事に対して自分を守る為に
カラダが起こしている状態なのです。
私たちは通常、
感覚や記憶、認知、イメージなどを総合的に受けとめて脳の中で処理が行われています。
それがショックな出来事だと
受けとめきれずバラバラな状態でそこかしこに残っていくのです。
例えば、
あの時言われた言葉が幻聴のように
チャイムの音で震えがくるように
人の目が自分を非難してると感じてしまうように
それを統合していく一つがEMDRという手法だったり、
スキーマ療法だったりするのですね。
でも今日はそんなたいそうなお話ではなく
日常の中、もしかしたら娘にしたらトラウマになったかもしれない出来事でも
しっかり受けとめてあげることで
自分の人生の中では
もう記憶にないほどの小さな出来事になりうる事が人間の素晴らしさの一端だと思ったのです。
忘れられるって
ある意味とても大切な人に備わった要素なんですね。
感情コントロールが苦手な子ー続き
2016年10月14日
【感情コントロールが苦手な子供の理解】
part2
最近、良い子が増えてる気がなんとなくするのですが。。。
話は戻り
カッとなりやすいコントロール苦手な子がいる一方で
過剰適応している良い子もいます
この二者は全く逆の現象だけど
表裏一体のもの
カッとなりやすい子も
怒りの感情を適正に受けとめてもらえてなかったところに原因があったのだけど
過剰適応の子も同じ
3歳の子が「ぼくだいじょうぶだよ。ガマンできるよ」
と言ったとして
本当に「だいじょうぶだったよ」とできたとして、
親はつい
「うちの子エライわ!思いやりのある子に育っているわ」と思いがちだけど
我が家は不幸か幸いかこういう子ではなかったけど
実はこういう子は過剰適応の子
この時何が起きてるのか。。
子どもってどんな親でも親を愛してるもの💓
生まれたばかりの雛が、初めて見たものを親と思ってどこまでもついていくという話がありますが
多分本能的に備わっているのだとおもう。
なので、親に愛されたいと強く強く願うものです。
ワガママいうのは、ワガママ言っても親は自分を見捨てないと思っているからできるのです。
(と、ここで発達の凹凸は脳の問題なので、発達の凹凸が強くあっての衝動性と安心はまた別のことです)
安心できないとワガママも言えない
言ったら愛されなくなってしまうかもしれないから。
でも当然だけど子どもにも感情はあって
大人よりコントロールは下手です。
当たり前です。経験値も低く、まだ大人に依存している存在ですから。
でも親に愛されたくて「だいじょうぶだよ」と言ってしまった時
自分の感情とどう折り合いをつけるか?
それをないものにするようです
いわゆる解離です
現代の子の中には解離を起こしている子が多いそうです
良い子が増えている所以でしょうか。。
大人が肯定する感情は、子どもの中でも受け入れられ
大人が否定する感情は解離して無き者にする
そうすると何が起きるか。。
感情は無き者にしても
自分の中でなくなりませんから
耐えて耐えて耐えられなくなると暴走をはじめます。
その最悪が殺人や自殺
(あくまで最悪ですから)
自分の中に天使と悪魔がいると
その子は自分である悪魔をとても嫌いますから
自己肯定感を持てないのです
天使だけになれたら、ママから全て愛されますしね
解離をする癖がついてしまうと
いじめられていても
自ら好んでいじられにいってるように見える
とか
ヘラヘラして楽しそう
と、周囲には見えてしまう
何かの事件に巻き込まれた時、当事者の子が
それまで周囲の大人に気付かれない
むしろ良い子だった
などという話がある時、その子の中で起きていることの一端がようやく見えたような思いがしました
中学生に面談していても確かにいるんです
「僕が家にいる時は、ぼぼ祖母の介護してます」
「全然嫌でないです」
聞いた時は、何か違和感を感じました
だって自我が出てきて
存在そのものが尖ったナイフのような時期なのが正しい成長ですから
でも、誰も疑わず「良い子」と、周囲の大人は言います
それはそうでしょう
でも、ここまで書いてきたように
それはそうではないのです
大人になってから
漠然とした虚無感、生きるエネルギーの乏しさにつながらなければ良いなと思う
生きるエネルギーは、自分の中の感情、身体感覚から得られるものです
そこを活発に感じれば、大人社会の理不尽さに腹が立ったり
周囲の風潮に違和感感じて、不登校にならざるをえないこともある
でもそれは正しいことなんですよね
中には良い子のどこが悪いんだ
と、言われるかもしれません
良い子が悪いのではないのです
自分の感情をおざなりにして良い子を演じてしまうのが子どもの心配なところなわけです
大人だってお年寄りの介護は大変だし、イライラする事もあるし、自分の時間がなくなると悲しくもなる
それを感じながらも大人は、今まで世話になった人だし
とか、親だから当たり前とか折り合いつけるわけですね
でも子どもは折り合いつけていません
そこが問題なのです
もっとそういう子に目をかけないとと
今まで以上に思ったことでした。
感情コントロールが苦手な子
2016年10月13日
【感情コントロールが苦手な子供の理解】
part1
こんな風に書くと
ADHDの子供たちを思い出すことも多いけれど。。
子育ての中で自分も反省なのだけど
プラスの出来事を子どもに言葉で返してあげることは
比較的されている親御さんは多いと思うのです
「嬉しかったね〜」「楽しかったよね〜」
でも地団駄踏んで怒っている2歳の子を前に
怒っている気持ちを汲んで
「怒ったね〜怒ったね〜、いっぱい怒ったね〜」などと言う親はあまりいません
ワガママ言ってると一刀両断はよくしてしまう
第一怒ってるときに、相手の子が存在していて、その親も目の前にいたりすると
親自身が
自分の中の良い子でいたい気持ちが刺激されて
良い親を演じようとします
そこで出る言葉は
自分の子に「我慢しなさい」とか「順番よ」などです
確かに言ってた。言ってました。(反省)
でも、2歳児(これ結構重要)に必要なのは
自分のどんな感情も外に出して良いんだという経験
出しても安心できる体験
泣いても笑っても親は受けとめてくれる
それを言葉として親が言葉で返してくれることで
この感情は「怒る」ということなんだ!と知っていく
それをしてもらってこない子が
小学校低学年で「お前殺すぞ」「死ねばいい!」などとゲームなどで知った言葉と自分の感情を擦り合わせてぴったりきたから、口にしている
周囲から見たらそれが暴言といわれる。
そんな図式。
そうなってしまったら
もうダメかというとそんな事はなくて
いくつになっても、その気持ちを感じさせて親や担任がしっかり受けとめて
そしてそれを言葉に変換していくことが大切
大人の私たちだって
周りのママさんを前に良い子でいようとするのは
同じようにされた、そんな親の姿を見て育ってきたから
「そうか!こういう時は自分より周りの目を大切にするんだ」
と、子どもの時のママが学び
自分の中の小さな悲しみ(お母さんは、私より周囲を大切にするんだ)と
適応の仕方(こうしないとお母さんに愛されない)
そうして、子ども心に自分より周囲を大切にすることを学んでいくもの
だから子ども第一にできないと自分を責めても
無意識のなせる技だから仕方ないことで
責めるより癒すことを主眼にしていってほしい
ママの感情だって受けとめてもらえることで安心して手放せることができるものだから
いつからでもいつまででも可能なこと
感情はあってないようのなもの!?
2016年10月03日
「みゆきは単純すぎ!に反論してみる」
だいたい感情などというものは
その人の認知に大きく影響を受けているものだから
極論言ってしまえば
現実には、あってないものようなもの💧
と、ここまで言ってみて….
逆のことを言ってみる
もちろん感情はすっごく大切なもので
これを感じることができない人は、必ずと言っていいほど
生きづらさを抱えていたり、体が自己表現して病気にしてくれたりする
そうでなくて、感情なんていらないさ!無駄なものさ!と言葉にしている時点で
実は感情がものすごく気になっていたりするから
まったく人間というやつは面倒な生き物(そして愛すべき生き物)だなと思う❤️
だからこそ
自分の気持ちというのは理解して、抱きしめてあげて、なだめてあげることに大きな意味があるものです❤️
大切にしろと言いつつも
今目の前の人が、ムカッとしているからと
そこを間に受けるのは間違いの元
それは自分の感情ではなく目に見えているだけの相手の感情で
本物かどうかは実に怪しい
だって自動思考はどんどん流れているものだからね❗️
それに何にムカッとしているかだって、分からないもの
それを何度も何度も忘れないようにと
同じ自動思考を繰り返し想起し
自身を苦しくさせているのは、生きるのが苦しくなるのではないだろうか?
私も、題名にあるように
さっき怒ったくせに
美味しいものが目の前に出た途端(話題だけでも)
ニコニコするのは自分に責任を持っていないのではないかと
いうような空気を感じて(言われたのではなく、あくまで空気)
反論してみようと思ったわけだ。
だいたい
ムカッとした気持ちは大きいのでそこに呑まれるが常だが
実はよーく感じてみると
他の感情も現れているのが普通だと思う(それが全く現れない人もいるが、社会で何事もなく過ごしていることを願う限りです)
何か言われてムカッとした、💢
その下には、ちょっと相手に悪かったかなとか、
この人疲れてるのかなとか、
私もちゃんと伝えなかったよなとか、
あーいつものことだわとか、もう関わらないようにしようとか、
まぁ様々な自動思考がこれまた出てきているのが通常
そんな様々な自動思考に気づけると
自分の方向性に選択肢が持てるというか
余裕が出てくる
これしかない、この感情が全てと思うほどに
怒りや絶望は強くなり、関係悪化をたどりやすいと思います
怒りながら、関わらないという選択肢を持てなければ、ずっとそばにいながら怒り続けることになるし
怒りながらも悪かったなという気持ちを持てなければ、相手を許す気持ちも生まれないです
なので私は
単純で何も考えていないように思われることがありますが
単純な中にはいろいろな思いがあること理解して欲しいですね
自分の中から湧き出た素直な気持ちを味わいながら
誰とどう関わっていくかを考えていくことが大切だと思っています
そして認知の癖は変えることができるものです‼️
慣れ親しんだ考え方というのは、とかく表面上に浮かんできやすい。あたりまえです。
慣れ親しんでいるのですから。
しかし
今どう反応するかは自分で選ぶことができるという意味で
多彩な可能性があるので
あってないようなものという表現を本日はしてみました。
もちろんあえて呑まれる選択肢だってあるわけ
一人飲みたい夜があるようにね🍺
マインドフルに接してみる
2016年09月26日
マインドフルネスは
最近あちこちで聞かれるようになってきましたからご存知な方も多いことでしょう。
体験系と思考系のワークがあるのですが
私自身セミナーで実際やってみているのが体験系ワークです。
みなさん、普段何かを食べる時にはほぼ無意識に口に運んでいますから
何かを感じることは少ないように思いますが
これを意識的にすることで豊かな世界が広がるのも事実です。
みなさんも「中華屋のもやし炒めが食べたい」と思えば、ごま油の風味や塩加減、シャキシャキとしたもやしの食感や皿に残った、油と水分が混ざった汁を思い浮かべるのではないでしょうか?
それを食べる時にも実際に改めて感じ、よく味わってみることがワークになります。
ワークですので、最低でも10分くらいかけて一口をじっくり味わっていくのですが
今読んでいる本に面白い事例が載っていたのでご紹介です。
➖「マインドフルネス&スキーマ療法」伊藤絵美著➖
「嫌悪刺激に対するマインドフルネスのトレーニング」です。
つまりどういうことかと言いますと
嫌いなものに対して、マインドフルになってみよう
という体験です。
実は私これを読んでいて思ったのですが
嫌悪刺激に対して心を開くということは、結構得意だなと
この書籍では、「くさや」を味わう。発泡スチロールを爪でギーッとひっかく。強烈に酸っぱい黒酢を飲む。ゴカイ(釣りの餌のミミズ様の生き物)をひっぱたりちぎったりする。頭痛などの痛みにマインドフルになってみる。
このどれもいけそうです。
体調に対しても、マインドフルにしていると、安易に薬で紛らわすことがなくなります。自分の体の変化に、とっても敏感だと私自身感じています。
同じ様に感情の変化にも敏感なので、ときに巻き込まれそうにもなります。
その対処も今はずいぶん上手になってきました。(これはゲシュタルト療法のおかげも大きいです)
実感があるからこそ、クライエントさんにもマインドフルに接することができるわけですね。
マインドフルに様々なものと触れ合っていくことは、自分自身に嘘をつかないということです。
自分の感情をごまかしたり、我慢したり、溜めたり、それで時に爆発したりしないということです。
「それじゃあ家族とケンカしちゃうよ〜」
本当でしょうか?
本音というのは、「全くあいつはダメだ」という一面だけでしょうか?(ケンカは相手を否定することで起きがちです)
あなた自身の思いをもう一度見つめ直してみてね。
この本にも書かれていますが
マインドフルというのは「自分を大切にする第一歩」なのです。
自分の体験をじっくり味わうことは、自分を知ることです。
人は興味ある人に対しては、知るほどに親しみを持つものです。
自分に心の底から興味のない人はいませんから(表面的にどうであっても)
自分を知っていくことは、より自分に親しみを持つ、つまり好きになっていく過程なのですね。
なかなか本を読んだだけで、セルフで実践は難しいものですが
やってみる価値は大いにあると思います。
もちろんセッションもお受けいたします。
「怒り」は必要な感情
2016年06月06日
バット・バルマー著「怒ろう」より
今はアンガーマネジメントが盛んで
怒りを鎮めることが盛んですが
怒りも実は必要な感情で
これがあるからこそ自分を守ることができるのです
しかし問題は怒りに「支配」されること
ではなぜ怒りに支配されるのか?
それは怒りを認めていないから
そしてその感情はいけないと自分の奥底に抑圧するほどに
怒りは貴方をいじめる
(もっと私に気づいて!)と。
そういうとき、ふとしたきっかけで怒りは暴走する
もう自分では止められないほどに。。。
日常の中でも怒りは意地悪をします
貴方の大切な人に自分でも思っていない方向に自分を連れて行きます
貴方の気持ちをねじ曲げ、結果貴方を悲しませます
でもそれは仕方のないこと
心はこう叫んでいます「私に気づいて!」
私は今、
怒りを良いお友達にしようとしています
怒りは私を守ってくれるから
少しおかしく聞こえるかもしれませんが、怒りをコントロール下に置いておくことはとても大切なことです
大切な人をネチネチいじめないために
そして自分の未来を間違った方向に持っていかさないために
そのためにどうするのか
私は怒りを言葉で表現します
この本にも同じ方法が書かれていました
「あーあんなことされて私怒ってるんだね」
信用できる友人にも
「こんな目にあって私怒ってるんだ」と話します
相手を責めるのではなく、自分の怒りを表現することで友人も話を聞いてくれやすくなります
そうして少しずつ怒りを手放します
話すことで手放されていくといった表現の方が正しいでしょうか
しかし怒りが強く根を下ろしている方ですと表現するほどに次から次へと怒りが出てきてしまう方もいます
そんな時にはどうするか
どうしてそんなに怒りが湧いてくるのか
あなたの心の奥底を覗いてみることをお勧めします
でも簡単ではないんだよね
それが怖くて怒りでごまかしてきたのだもの
あなた自身のために愛するもののために
そして未来のために
奥底を覗く勇気を持ちませんか
よく感じることなのだけど
自分を好きでない人は他人も好きになれないって思う
自分を好きでないってことは、好きな自分になれていないからだと思うんだ
つまり自分の許容範囲に自分がいないから好きになれないし
そんな自分に怒りや悲しみを持ってしまう
でもそんな風に自分を追い詰めている人は
必ず他人にも厳しい態度を示します
人は誰でも自分が可愛いから
心の奥底では自分が好きだから
なのにそんな自分を好きになれない
ならそのハードルを上げてしまおうって思うのです
当たり前の気持ちです
だから結果他人への目が厳しくなるのです
そうしなければ自分を責めすぎて病気になってしまいますしね
怒りを奥底にしまうのではなく
怒りを認めていく、怒りの根っこを見つめていく、それが正しい処方箋
愛する人を傷つけないために
あなたを慈しむために
変えようと思ったその時から人生は新たな道を歩み始めます
「気づき」と地と図の関係
2016年05月15日
人は常にいろいろなことに気づいて生きています
例えば朝起きて「お腹が空いた」ことに気づき それを満たすための行動を起こします
生きていると「あっ、これはこういうことなんだ」と妙に腑に落ちることがありますが
それはまさに気づきです
そして 自分の心にマインドフルになっていると 気づきが気づきを呼ぶことがあります
それは例えば
自分の中に葛藤が起きた時
思いもよらない言葉を返された時
ありえない、そんな気持ちになった時
つまり心が抵抗するような時に 自分の心に寄り添えると いろいろな変化を読み取れます
最初は
絶望感、かもしれません
理解されない悲しみなのかもしれません
そういう感情を感じたくないために
押し込めている方は非常に多いですが
そんな傷ついた自分に丁寧に寄り添ってあげると 心はさらに変化をしていきます
大切なのは
そんなことを感じるはずはないと抵抗したり
そんなことは認められないと蓋をしてなかったことにしたり
自分は悪くないと責任を他人に転嫁したり
しないこと
自分の中で起きていることをしっかり認め受け入れてあげることこそが大切なことなのです
不思議なもので
感覚というのは、感じてあげることで変化していくものです
最初にかかれた図があります
これは地と図の関係です
だまし絵を見たことがある方は多いでしょう
この絵は一度に二つの絵を人は見ることはできないことを表現していますが
壺を見ている時には人の顔を認識することはできません
その逆もしかりです
それは思考や感覚にも言えることで
ある感覚をじっくり感じていると時間の流れとともにその感覚は弱まり
次の感覚(それは人によって違うものです)に意識が向きます
ここの例でいえば
腰痛を感じている人がその感覚をじっくり味わうと
腰痛という認識から痛みということを強く感じるようになり
さらにはそのことによって辛いという「辛さ」に意識が移行していきます
通常こういったことを私たちは漠然としているので
「みんな一緒くたに感じているんじゃないのかな?」
と思いがちですが
瞬間的に意識は一つにしか向きませんので
いろいろなものを感じているという方は
次々に意識を変化させているというのが正しいのです
気持ちも同じで
「辛く悲しく苦しい出来事」というのも
その瞬間は、「辛い」であり
ある瞬間は「悲しい」であり
また「苦しい」なのです
もちろんそれは喜びの感覚でも同じことです
そしてそのように自分の意識にじっくり向き合っていると
例えばある時は
幼かった自分が味わった辛さを腰痛が表現していることに気づくこともありますし
このところ自分を省みずにいじめつけるように活動していたことに気づくのかもしれません
何に気づくかは人それぞれなのですが
そこで何かに気づくことが重要なのです
それはほんの些細なことであっても、「あぁそうだった」という体験は人生にとってかけがえのないものになっていきます
私は日常の感覚がこの繰り返しなので
先日「そんな風に自分を深掘りしないように」と言われたのですが
それは深掘りしているのではなく
流れている感覚に正直にあり続けているだけなのです
でも世の中は
感情にフォーカスすることに慣れていないので
私のやっていることは他人から見たら、非生産的なことなのかもしれないですし
気持ちにばかり向き合うことは
何か私が弱くなるように感じるのかもしれません
実はその逆で
向き合うことで生きる意味を都度確認し
自分の中にある強さや弱さを慈しむ経験なのですが。
意識は流れている
そしてその感覚はまぎれもない自分個人のことなのだと。
そして不思議とその感覚を同じように感じている別の個人と共有できると
それは人と人との間に流れる優しさや愛おしさ、慈しみといった感情につながっていきます
人は人と繋がれるといった感覚です
そんな体験をあなたにも味わって欲しいと思っています
人工知能とハピネス度
2016年05月02日
先日所属している団体から定期冊子が届けられ
そこには人工知能によって、統計的尺度から見つけられた人々のハピネス度について書かれていました。
現代はなんでも効率優先の時代で
効率に見合わないものは、「仕分け」「無駄」という名の下に切り捨てられましたが
実はそうではないことを人工知能は教えてくれている気がします。
〜〜〜〜
コールセンターに勤める従業員に名札型ウェアラブル(人工知能)端末を装着しコ
ミュニケーションをとった時刻、場所、名札の揺れのパターンを記憶した結果、
売上実績のある社員の出欠が売上変動に影響を与えていると考えられていたが
実はそうではなかった。
業績と強い相関関係を持っていたのは、
従業員の活性度(体の動き)を高める人物の出欠でした。
その人物がいるのといないのとでは売上に34パーセントもの違いが見られた。
ただしその個人の営業成績がいいかというと必ずしもそうではなく、
雰囲気を良くすることで、周りに業績を出させるムードメーカー。
しかも休憩時にそのムードメーカーを中心とし雑談が盛り上がったかが
1日の業務の生産性に大きく関わっていた。
(記事にはありませんでしたが、コールセンターは女性が多い職場というのも大きく影響しているとは思います。)
〜〜〜
さらに御年84歳の師匠もよくこう言っていることを思い出します。
「今は結果を出せない人はダメだという風潮があるけれど
人にはそれぞれ役割があって、名プレーヤーが名マネージャーになれるかというとそうではなく
仕事が出来る出来ないで上司の役割を与えるのではなく、
人の話を聴ける人を上司にした方が組織はきっとよくなる」
といった趣旨の話をしていました。
まぁ現代はマネージャー職だけをやっていればいいわけではなく、プレーヤーも同時に要求されているから
どこまで食い尽くすんだろうといった感は否めませんが。。。。
さらに組織の幸福度としては。
幸福の尺度
体の三次元の動きと向きを測定、記録する加速度センサーを使い、
7社、10組織、計468人のオフィスワーカーから延べ5000日、約50億点の加速度データを集めた。
そこに質問紙を組み合わせ、どのような動きが組織としての幸福度を高めるのかを分析した。
すると動きの多様性が幸福度と強い相関関係を示していることを発見した。
さらにハピネス度が高い企業では、企業としての生産性も高いことも分かった。
さらにプロジェクト開始後たった2ヶ月時にハピネス度が高かった組織は、そのプロジェクト自体も成功しているというのです。
まぁ考えてみれば当たり前で、意欲を持ってハツラツとそのプロジェクトに取り組んでいるということは
目標もはっきりとそれぞれが見渡せ、意欲を持って取り組んでいるということですから
成功しないわけがありませんよね。
最後に記事はこう締めています。
「体は感覚器などの情報をインプットする機能がたくさんある。
でもアウトプットする機能は筋肉の動きしかない。
あえて言うならホルモンや酵素の分泌でしょうか。
とはいえメインは筋肉の動き。
その意味で脳だけが重要視される方向は間違っていると思います。」
人工知能という最先端の技術が教えてくれる
人はロボットではないという方向性に救われる思いです。
個人的には
アウトプットするのは筋肉の動きしかないというところにも注目をしていて
私たちがしている療法の中には
「筋肉は感情の鎧」という言葉があります。
「いやだ」と思えば、筋肉が硬直するといったように
感情を筋肉が表している一面があります。
しかし「いやだ」と思うことはいけないことと教わってきているので
例えば体のコリ、痛みなどで感情を抑制するのです。
「本当か?」と思われるかもしれませんが
私も実体験していますから本当です。
自身の真実を知ることを人は恐れますが
本当は違います。
知った上で、どうするかを改めて考え今にとどまるという選択肢もあるのです。
しかし知らなければ
痛み状況に翻弄されるしかありません。
人工知能というハイテク機器が
人間の基本的な姿を見せてくれたことに感謝したい思いです。
自己成長のプロセス
2016年04月18日
ゲシュタルト療法では、自己成長のプロセスを下記のように捉えています。
何をもって「成長」とするかは人それぞれの考え方があると思いますが
「真の自分に気づく」ということをここでは大切にしています。
人は自分自身である時、
余計なおせっかいをしたりしません。
他人に対してその人はその人なりの考え方があると相手の存在を認めます。
自分のわがままさや怒りや悲しみも喜びと同じように大切なものとして扱っていきます。
そして
自分のとらわれから自由になっていきます。
さらに噛み砕いた説明がこちら
ミルトン・エリクソン「レジリエンスを育てる」を読んで
2016年03月31日
ミルトン・エリクソンを読んでもやもやした気持ちをここに書いてみようと思います。
「レジリエンスを育てる」という副題がついたこちらの本
とても素晴らしいものでした。
彼自身が複数の感覚障害、読字障害を持ち、失読症であると自身が語っている。
つまり今でいう発達障害なわけです。
しかも彼が18歳の時にポリオに罹り、体のほんとんどを動かすことができなくなるという状態から回復した方でもあります。
私自身、発達障害の方との関わりを持ち、難病患者会の理事もしているわけですが
にわかには信じがたい不屈の精神をエリクソンからは感じるわけです。
(この方、発達の凹凸があるので私のような凡人でもなく、そもそも比べようということ自体間違っているのですが)
患者の一人に、全身が激痛を伴う関節炎で動かせるのは頭と片方の親指だけという男性がいてその方に対し
運動不足だと言い放ち、動かせる親指を動かすようにののしる言葉を使い、怒りというエネルギーを呼び起こしついには男性は社会復帰をするのです。
もちろん雨季には痛みがやってくるのでその間は寝たきりになるのですが
その時期を男性は楽しみに待つようになったのです。
この事例を前に私は難病で苦しんでいる彼女、彼らを前に
なんて言えるのだろうとしばし言葉を失いました。
(治療者として関わっているわけではないので、何も言う必要はないのですが)
またこんなエピソードもあります。
エリクソンの娘夫婦が養女を迎えます。
自分たちは白い肌に青い目をしているというのに、浅黒い肌で黒い目をした子です。
人種的な差がなくても自身の子がいれば、親は差別的な行動をとりがちです。
そう娘夫婦には男の子が二人いたのです。
それでもその子は、親からも愛され
エリクソンからは特別な「ジンジャーブレッドガール」として扱われ
兄たちとは違い、特別な存在として可愛がられ、本人もすくすくと成長するのです。
さて
子供が発達障害を持って生まれた、難病をもって生まれたと知った時
親は普通にできない子を疎ましく思ったり、自身を責めたりしがちです。
こんな時、その子は特別な「ジンジャーブレッドガール(ボーイ)」なんだと親が気づけることができるのか
どうしたらより早い段階で通常以上に強い愛を持っていることに気づけるのかと
そんなことが頭を巡っています。
(実は気づくだけでなく、それを表現することも重要なのですが)
http://www.yonbunnoichi.net/sakuhin/story/
「1/4の奇跡」この映画のことも思い出します。
子供への愛を実感することと、親自身が自分を愛することは
私自身は並行してきたように今振り返ると感じています。
結局凡人の私がすることですから、少しずつの変化に寄り添っていくしかできないのですが
それでも
私の存在が救いになると言ってくれる方々にまだ何かできるのではと学び続けるわけです。
あまりに鮮やかなエリクソンの手腕に
(もちろん時代背景や今とは人の純粋性も違うと感じますが)
あっぱれな思いと、少し視点をずらすそのずらし方が絶妙なので
自分とはタイプが違うと知りつつもなんとか掴みたい思いでいる私です。
あなたは丸ごとそのままでいい
2016年03月14日
私のHPには「「あなたは丸ごとそのままでいい」」という言葉が書かれています。
私はこの言葉が好きです。
しかしこの言葉を受け取れない人が多いのも事実です。
「こんな自分でいいわけないじゃない!そんなの理想論だわ」
「こんな自分大嫌い」
「周囲から注意を受けるばかりの自分は誰からも認められていないんだよ」
こんな言葉たちが聞こえてきます。
そしてこんな言葉とともに、自分を大切にしない周囲への怒りや悲しみが見えてきます。
でもね
それでも私はこう言いたい
それは「今あるあなたの持ち物の中での精一杯の頑張り」だと
人は誰でも頑張っているんです
今できる精一杯の中で
だからこそ
今の持ち物の中で、精一杯頑張ってることを改めて見直す作業が必要
それはまさに
「こんな自分でいいわけないじゃない!そんなの理想論だわ」
から
「本当に私でいいの?」
を経て
「あー私はたった一人のわたしなんだ」
という想いへの変化
「こんな自分大嫌い」
から
「こんな風にしてしまう私ってなんだろう?」
を経て
「あーこころの中にはこんな悲しみが渦巻いていたから、こんな態度をしてしまっていたんだ。私、本当に傷ついていたのね」
「周囲から注意を受けるばかりの自分は誰からも認められていないんだよ」
から
「えっ、あの人私が嫌いだからこんな態度を取っていたのではないの?」
を経て
「私がとっていた態度は、人に誤解を受けるようなものだったんだ」
これらの人たちは何も変わっていません
以前のままです
でもこころの交通整理が進むと
以前と変わらない自分が
以前とは全然違って見えるのです
気持ちや想いが変われば
表情や仕草も自然と変わってきます
そう
まさに
あなたは丸ごとそのままでいい
そのままなのにね♪
自分を責める人
他人を責める人
そのどちらもが
結局こころを弱めてしまう
たった小さなミスの一つ、発言一つを責めるのはやめませんか
あなたがかけがえのない人であることは変わりなく
周囲の人もそれぞれにかけがえのない人なのだから
ミラーニューロンと集団での力関係
2016年03月02日
今読んでいる本では
私たちはミラーニューロンでつながっているという記述があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ミラーニューロン
<他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように”鏡”のような反応をする>
子供の頃、とても親しくなるとその友達の言いぐさを同じようにしている自分がいましたから、私はきっとミラーニューロンが発達しているのでしょう。良くも悪くも(笑い)
そして作者はこのおかげで自分の中に元々はない
自分はダメという感覚を
人から植えつけられ、それを自分のものとして自分自身を規制していくとあります。
つまり親が、親の期待の元「あなたは素晴らしい」という思いと「あなたってほんとダメ」という二重拘束をすることで
動けなくなる。
ほんとにダメになるといいます。
友人関係でも、近所の人でも、支配したがる人は世の中にたくさんいて
この二重拘束を巧みに使って動けなくしようとしてきます。
確かにこういう人はたくさんいるかもしれませんね
さらにいくら自分が頑張ろうと思っていても
つい
「もしかして悪いのは自分かも?」という思いが自身の中にあることで
ある法則に従っている可能性を示唆していました。
それは集団の中での
2:6:2の法則です。
働きアリというのは
2割がよく働き6割がなんとなくそれを傍観し、残り2割が動かないそうなんです。
これを人間関係にもあてはめ
2割がいじめっ子なら6割が傍観者となり残り2割がいじめられっ子になるということです。
つまり自分の資質には関係なく
ある集団の中で残り2割になる可能性は誰にでもあり
それがより「自分が悪いかも」と思いやすい方はそれを担いやすいということなんです
いかがでしょうか?
あなたはあてはまりませんか?
ここから抜け出すあなた自身の力についても触れていて
この方法は著者が男性なので
私から見ると男性的な解決法だなと思いましたが
そのループに入ってしまっている現状を抜けるには
必要なのかもしれません
自分が他人の噂に影響されず
自分らしく生きていく
他人の評価を自分のものとはしない
そんな自分であるように
あれるようにいたいですね
とても楽ですから。
変わりないあなた
2016年02月24日
たとえ結果は同じであっても
相手に躊躇して話せないと、話したくないは全く別物
それならどちらなのかは相手に伝えよう
そうでないと相手はわからない
右端の気持ちと左端の気持ちの両方が、自分の中にあっても
そのどちらかを無き者にする必要は全くない
人間というのはそういう生き物だし
そんな風に簡単には割り切れないからこそ面白いのです
「こんな風に思う一方でこんな風にも思う私がいるんだよね」
それでこそ、自分というものを自分で理解できる
でもなぜか
思うことはあっても話さないで済まそうとする人は相変わらず多いし
そもそも
「話してはいけなんではないか」「こんなこと話せない」
と、自分に大いなるものを課している人も多い
そしてそんな人ほど、自責感が強い
また
それ以前に自分の気持ちに疎い人も結構居る
自分が今、どんなことを感じているのか、それは自分の中にある感情を明らかにすること
それを率直に、なおかつ言葉を上手に選んで伝えることでしか
心あるコミュニケーションは難しい
自分をよく知って
自分らしさに気づいて
そして今のあなたでいいと思える毎日を過ごしていきましょう
その時にはきっと
自責感いっぱいのあなたと、これが私と思えるあなたでは
同じあなたでも気持ちが
行動が
態度が
違っているでしょう
でもどちらも変わりないあなたなのです
傷が深いと感じない
2016年02月16日
体調不良で整体に行ったのですが
以前から鍼を打ってもらいながら感じる事があります
それは。。
ここが一番辛いという場所に鍼を打っても
感じない事が多いのです
整体師には「反応すごくいいんですけどね」と言われるが
感じない
それはちょうど台風の目は無風なように。
そして鍼をしてもらった後、翌日辺りに
ようやく痛みがはっきりし
その後落ち着いてくるといった感じだったり、再度うってもらったり
まるで、一番辛いところは、自分が耐えられないので
感じなくさせているようです
同じように
心が辛い時も
まるで何事もないかのように言う人がいます
「それはしんどかったですね」
そんな風に伝えても、「いえ、そういうものですから」
その事を受け入れるには、時間や安心さを感じる事がまだまだ必要なのでしょう
私もあまりにショックな時
まるで何事もないかのようにしてしまう自分に驚いたりします
それはまるで
心が凍りついているようです
その後、ショックのあまり
動けなくなったりするのですが(笑)
なので、怒りや悲しみの感情がすぐに出てくるというのは
心の傷つきという点では
まだましなのかもしれません
それに凍りつく、忘れる(覚えていない)という対処も
実は悪いことではありません
そうして受け入れ難い出来事から自分を守っているのですから
一晩寝て、二晩寝て
傷を癒しているんだと思うと自分に優しくもできるものです
感情的になってしまう自分に気づいているなら
傷はそう深くないんだと知り
感じない自分に気づいたら
どうやって自分に優しくしようかと考えてみましょう
「介護者ための心のケア」アンケート
2016年02月07日
1時間という短い時間の中で、一生懸命お伝えしました
アンケート
〜〜〜
皆様の日々にお役に立てればと思います
感情の扱い方
2016年02月05日
不安や怒りの感情とは基本縁遠いのですが。
つくづく自分の脚本を感じる経験の中で
自分では、抑えがたい感情との接し方を
色々試してみるという
また仕事に生かせるナマのアプローチを我が身で試していました
(ここでいう脚本というのは、
ドラマなどの演技の脚本ではなく、
自分自身が幼い頃に身につけた人生の出来事への対処法だったり、
うまく対処できない事でアダルトチルドレンだと言われたり、
自分自身が無意識の中で握りしめている信念だったりを言います。
それはまるで自分の人生の中で、前もって書かれた脚本のように
繰り返し同じパターンを知らず知らずのうちに、演じているものです)
と、前置きはこの位にして(⌒-⌒; )
職場の人と接する中で色々な感情が引き出される事があると思います
幸か不幸か私は、職場程度ではあまり大きな感情の揺れを感じる事はないのですが
やはりそれが家族の事だったり、大切な人だったりすると、さすがにそうはいきません
気持ちがグラグラと揺れ動くのをどうする事も出来ない自分がいます
まぁ、それがない人などこの世に存在しませんから、これもまた当たり前の心の動きなのです
と、そんな怒りや不安は相手の様子によって引き出された感情ですが
同時に誰もが同じものを感じるわけではなく
引き出されたものは、自分固有のものなのです
何が言いたいかと言えば
「あいつが悪い!私をこんな気持ちにさせて!」なんて
恋愛女子が言いそうなセリフですが
「あいつが悪い」わけではないのですね
「あなたが、勝手に感じているのでしょう」なわけです
そこで何故そこで勝手にそんな事を感じるのかと言えば
脚本が関わっています
自分固有なものなら、自分でなんとかしないといけないですね
しかし感情は表現されないとなくならないのも事実なのです
なのでここで大切なのは、表現の仕方になります
頭ごなしに、「怒ってるの!」といっても受け入れられないでしょう
この怒りの原因を探り
「あの一言は、とても傷ついたから、もうあんな事言わないで欲しい」
とか
「感情が揺れていて自分でもどうする事もできないの。あなたの優しさが胸にしみるわ」
なんて言われたら
彼はあなたに優しくするしかなくなるでしょう
脚本はなくす事はできません
でも、その作用を弱める事はできます
私のように^ ^
色々なアプローチがあります
御自身の生きづらさがあり、立ち向かう勇気を持てたら
覗いてみませんか
私もそばにいますから。
みんな悩んでいる
2016年02月02日
人生というものは誠に不思議なものだと感じます
決して良い時ばかりではなく
また悪い時ばかりでもない
しかし人は不思議と悪い出来事、経験に関して忘れることは難しく
ふとした折に、そこに引きづられます
それはどんなに強がっている人でも
それは生きている証でもあるので、決して悪いことではないのですが
楽なこと、楽しいことではないのも確かです
そこで
自分の人生を波としてみたらいかがでしょうか
ひいては寄せる波のように思えると、辛い時にもまた引く時は必ずありますし
その辛さをなんとかしようとするのではなく、ただその辛さと居続ける
それこそが人の器を大きくするのです
自分が絶好調の時、誰かは足元もおぼつかない気持ちになっていることを知れば
人に少しは優しくできるでしょう
また自分が凹んでいる時
これもまたよせては引く波のようなものだと覚えておけば
必ず時がまた気持ちを立て直してくれることを信じることもできるでしょう
今は「信じる」ことが難しくなっています
人の裏を見る機会が増えていますから
隠されてきた人の心の闇を白日の下にさらす社会
自身の闇を平気で人前にさらす人間
ヤボな世の中になりました
さて
人との出会いも不可思議なものです
出会いたくても出会えない
そんなこともあります
出会えたと思ってもまた別れが来ることもあるのも事実です
それもまた人生の醍醐味というもの
自分の人生を赤い線と思ってみてください
それぞれの人がそれぞれの赤い線を生きている
交差する線もあれば
どれほど憧れても出会えない線もある
ずっと絡んで生きていく線もあるかもしれません
この道は誰が決めているのでもない
人生に翻弄されながら自分自身がその都度決めていることなんです
こんな風に人生を見ることができたら
流されているのではないことも知ることができるし
出会いを今以上に大切にできるのではないでしょうか
大切にするというのは相手に譲ったり、迎合したりするのではなく
自分自身を大切にすることからしか始められません
それは簡単であり、一番難しいことなんですね
カウンセラーに病気を治す力はないけれど、
自分と向き合って、自分を大切にし、結果相手を大切にすることにつながる
そんな関わりはきっと病気にも生きにくさにも自分の中の違和感にも良い結果を作ることでしょう
智慧の道
2016年01月30日
ネイティブアメリカンの長老の言葉を紹介したいと思います。
とても意味深いと感じます。
人生の中で何かをなしたいと思っている人も
平凡な人生を送ろうとしている方にも送りたい
喜びの中にいる人も絶望の中にいる人も
人生の意味を問いてる人にも…
楽になる人もいるだろう
がっかりする人もいるだろう
人生という道を歩いている方々へ
〜〜〜〜〜〜〜
智慧の道
母は善良な女性だった。
幼いころの私は、母こそ世界一賢い人間なのかと思っていた。
だから私はある日—多分まだ6つか7つだったと思うーどうしたらお母さんみたいに賢くなれるのときいてみた事がある。
母は笑って、小さいのにもうそんな事を知りたいの?と言いながらも、だけど、きかれたんだから教えてあげなきゃねと言ってくれた。
「人生って、道みたいなものなの」母は私を見下ろしてほほえんだ。
「人はみんな、その道を歩いていかなきゃいけない。寝るときだって、道で寝るのよ。
無事に夜を生きのびることができたら、朝にはまた続きを歩く。
そうして歩いていくうちに、いろんな経験をする。
それは、道に小さな紙が落ちているようなものよ。
紙を見つけたら、拾ってポケットに入れなきゃならない。どんな小さく破れた紙でも、一つ残らずポケットに入れるのよ。そうするうちに、いっぱいたまってきたなと思ったら、つなぎ合わせてみる。
そしたら何か書いてある。
たくさん拾ってあれば、意味の通る文になってるかもしれない。読めたら、書いてあった言葉を肝に銘じる。
紙はまたポケットにしまって、続きを歩く。だって、まだまだ落ちてるかもしれないでしょう。
またいっぱい拾ったと思ったら、もう一度つなげてみればいいの。
前よりもうちょっとだけよくわかるかもしれない。
ずっとやってるうちに、「ああ、そろそろポケットから出して、つないで読むときだな」ってわかるようになるものよ。
こうして読めば読むほど、人生の意味が分かってくるの。
こうして人は賢くなる。
まあ、少なくとも、ちょっと前の自分よりは賢くなれるのよ。」
アンクル•フランク•デイヴィスポーニー「叡智の守り人」より
心の安定に必要なこと
2015年12月28日
人の心の安定には
実は大きなことが必要なわけではないのです
とかく
生活の安定と言えば
仕事で全く心配ないほど稼いでいない
とか
今の環境では、安定しないから引っ越ししないと
とか
子育て中だから、気持ちの安定は無理など
とても大きな変化や切り替えが必要だと
思い込む傾向があるみたい
実は日々の中で大切なのは
本当に些細なやり取り
それは友人との間での会話だったり
職場での「ん?」と心に留まったやり取りだったり
家族の視線だったりという
ごく小さな気持ちの浮き沈みの積み重ねが
大きな気持ちの不安定さに関わっていたりするのですが
案外そのことは見逃されがちです
日々の中の小さなストレスをいかに早くに落ち着かせるか、
気持ちを楽に保つかに
もっと心を砕いてほしい
年末年始は、非日常なので
より気持ちが揺さぶられやすいものです
その事を自覚しながら
日々の小さな「よし♪」を見つけながら生活してくださいね!
クリスマスも終わって
2015年12月26日
20年以上、朝、昼、晩と食事を作ってきました
料理本も相当買ったし、目新しい料理は一度は作ってみようとチャレンジしてきた
雑誌の切り抜きも
クロッキー帳からはみ出すほどでした
そしてその結果
私が行き着いたことは
何よりも大切なのは
食事を囲むその時や場の雰囲気、温かい気持ち、そして笑顔
これに勝るものはないと思っています
何を食べるかよりも誰と食べるかは重要で
一人でも口に押し込むのではなく
楽しむゆとりを持つことは
その食材の栄養価にしても体への取り込まれ方にしても違うと思う
ちょうど先日
糖質オフを実践中の糖尿病の方が
糖質を少し食べてもバン!と血糖値が上がることもあれば
しっかり食べても上がらないことがあるというお話を伺い
腑に落ちた次第です
食べる時のシチュエーションや自分の心持ちがとても大切ってことですよね
料理ということそのものは好きではあっても、うんざりしていた私ですが
今年とても久しぶりに鳥の丸焼きを作りました
今までは自分で口にすることなどほとんどなく
子供達の喜ぶ姿を見て満足してきた私ですが
どうしても作りたくなって、結果その責任を毎日とっています
そして思うことは、料理っていいなってこと
誰かのために作ることも、自分のために作ることも
「生きる」ことを大切にしているような気がします
料理は、日々の中に流れがちな思いきりの日常だからこそ
大切にしたいし
大切にできる生活をしていきたい
日常こそが「生きる」基本だということを忘れずにいたいものです
人との距離
2015年12月09日
他人と上手に距離を保つ事の難しさを思う
私も昔は侵襲されがちだった
自己反省するタイプは
自分の正しさを主張する人たちからすれば
格好の存在になりやすい
すると
自分を責めるタイプと
他者を責めるタイプとでは
他者を責める方がこの世の中、良いように思えてきます
それが現代社会の有り様にもなっています
でも本当にそうなのか?
否
人間の成長という視点から見たら
他者を責める方は自身の成長に結びつきません
よほど自分の有り様を悩む方の方が
人としてあるべき姿に近づく事でしょう
しかし
自己反省するばかりでは
辛くなるばかりなのも事実
そして侵襲されてばかりでは
メンタル不調にもなりかねません
そこでふと
自分はどうやってそこから変化してきたのだろうと…
そこを振り返る事は
同じような方の助けになるように思います
例えば
たとえ一瞬の出来事であっても、
自分を認めてもらった、受け入れてもらった経験を大切にする事は
大変大きな力になるようです
相手の誠意を素直に受け取る力は、私を助けてくれたようです
またゲシュタルトワークの中で
何度も
他人(それは家族であっても)との境界線を引き続けてきた事も
自分の守り方を身につけていく上で貴重でした
そして
自分という人間の長所も短所も含めて
「これがわたしなんだ」
たとえ短所でさえも、時に私を支えてくれている事に気づくと
生きる事がとても楽になりました
そして今は他人との距離感も保てています
そこには
自分自身の環境設定も大きい
人に流されて不本意な事を受け入れなければいけない状況には自分を置きません
そして、「今の私」がいます
さて
他人との距離を保つという最初の話が何故出てきたかといえば
傷ついている人格障害の方の存在です
それは
切ないほどに願うほど、
純粋すぎるのか、はたまた不純なのか
その行動は、破滅的になってしまう
多分ボーダーの方などは
人の中にある純粋性に共振する
だから相手からするとその純粋性を侵されることに恐怖を覚えるのだろう
そう思うと
改めて願いが叶わない切なさを感じつつ
大人になる事は、子供の頃に描いていた桃源郷をすてる事なのかもしれないなどと思ったりします
自分でいいという強さは
大きな安定や安心感をもたらし
何物にも代え難いですが
人に依存し甘えるこそばゆい感じや
誰かに満たしてもらう幸福感も必須ではなくても大切なものでしょう
そのどちらも手に入れるには
やはり自分への謙虚ある信頼感を育てた上でないと難しい
そんな事を思いながら
今日もカウンセリングに励むのでした
無意識について
2015年12月03日
下記のブログを読みながら
http://kenokano.blogspot.jp/2015/11/blog-post_27.html?m=1
またオープンダイアローグで、斉藤先生が
「転移、逆転移などという面倒な事を起こす事なく、患者が良くなっていく。
転移などという関係は、必要ない」とまで
言った事などが、私の頭の中で
渦巻いています。
そもそも
無意識というのは、なんだろうという想いがこのところわいてきます。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/無意識
私自身の事で考えてみると
ある時、モラハラ的な態度を取られた、その後で
自分自身、全く意識していない所で
相手がそこは察してほしい、理解してほしい所で
相手を傷つける態度を取った事があります
それはまさしく無意識なのかもしれません
でも自分の心が健やかにいられるようになると
そもそも
そんな存在は、私の側にやってこないし
相手との関わりの中で
想いもよらない自分の態度、行動などという事は
ほとんど起きてこない
「何故、人は私に対して威圧的(依存的)なのか」とかいう事も起きてこない
自分の態度や行動への、批判を自他共に受ける事がないと
無意識というものはなんだろう?という疑問がわいてきます
意識の底には巨大な無意識が横たわっているのか…
オープンダイアローグで重要なのは
社会的生き物である人間は
人間との真摯な関わりを求めていて
それを実践するという、実にシンプルな事
心に深い傷を受けていれば
それを修復する作業は、必要だけど
時に修復が目的になっているように感じる方がいます
自分の身に起きたショックな出来事に対処や意味を見いだす事は大切だけど
自分の状況や
自分という存在への探求を始めると
そこは底なし沼のようになってしまう
ある程度の理解は必要だけど
私が行き着いた先は
自分の様々な性格や側面は
全て
自分という存在を受け入れる方向だった
改めないといけないものではなかった
もしあなたが自身への探求をしているなら
自分が心穏やかになれる場、時間、人、
自分が、声を出して笑えるように自分を持っていく事の方が
どれだけ重要なのかと今になると思う
身近にそんな悩める方がいるなら
多くの言葉や薬より
その方をギュッと抱きしめる事の方が
どれだけ多くの癒しになるだろうと考える
(よほど身近でないと問題も多いが)
もちろん複雑に絡み合った糸は
他人から見たら
到底理解不能という事はあるし
そこに人間の深遠さを感じる事もあるのかもしれないが。
昔の日本人は、実におおらかだったという話を聞きながら
人の心を複雑にしているのは
他でもない私たちの脳が作り出した虚構と言っては言い過ぎなのか
シンプルに生きるという事は
複雑な現代社会では
かえって難しいのかもしれない
コミュニケーション
2015年11月28日
コミュニケーションはキャッチボール
セミナーで、よく、使うセリフです
強い球をこちらが投げれば、相手も強い球を投げ返してくる
受け取りやすい球を投げれば
相手も受け取りやすい球を投げてくる
とても基本的でシンプルなものです
コミュニケーションの本が中学校にありました
その中で心惹かれた一文を皆様に。
「完了したコミュニケーションが私たちに生きる喜びをもたらし
未完了なコミュニケーションが私たちから
生きる望みを奪う」
「未完了」とは、
投げたボールを受け取ってもらえないこと
または受け取らないこと
あるいは受け取れないボールを投げつけられること
投げつけてしまうこと。そして
なぜなんだろうと
その答えをひとり、探し続けている状態
未完了な時には
未完了であることに気づけない
相手が悪い 自分が悪い
明らかにどちらかに問題があるという時もありますが
日常の多くは
相手が受け取らないのか、自分が受け取らないのか
真実は実に曖昧で
空回りばかりです
ただ一つ言えるのは
ひとりその答えを探している時
それは相手だけが悪いのでも
自分だけが悪いのでもないということ
相手の言葉に自分の言葉が引き出され
自分の言葉に相手の言葉が引き出されただけ
今ここで考えたいのは
他人との関係ではありません
身近な存在や、家族との関係においてです
つまり身近な関係を作れるだけのコミュニケーション能力が前提となったうえでさらに考えてみたい
コミュニケーションにはそれ相応の努力が必要なのか?
それとも自分を丁寧に表現すれば大丈夫な関係はあるのか?
つまり
自分を表現することが
お互いの幸せに繋がる
そんな関係はありうるのか?ということ
あなたはどう思いますか…
向き合う力
2015年11月22日
親のことを憎んでいるという人がいる
「色々苦労させられてきたから」
会話にのぼることも嫌がるその姿は切なささえ感じます
きっとその人にとってはそうなのだろう
その人の表面上の事実
しかしそう言いながら
「しかたない」という理由であれこれ金銭的援助をしている姿に
家族模様が透けて見えるようです
愛が歪んでしまったところにこそ
その人の悲しみが見えてきます
自分の哀しみを見つめる事さえできない
事は
そこはかとない不安を常に抱える事になります
そして言える事は
何十年もかけて作り続けてきたものを変える事は難しいとも言えるし
一瞬で変わる事もあります
それはカウンセラーの力ではなく
どれだけ向き合えるかという本人の力にかかっているのだと。
悔しいけど事実です
ただ、私はそんな向き合う辛さに寄り添っているだけなのかもしれません。
そしてそれは簡単なようで、簡単でないのも事実です。
一体感
2015年10月15日
欲しても得られなかったものに光を当ててくれると
光を当ててくれた人をとても身近な存在とみるようです
だけど闇だった事には
それなりの理由があったので
そこを受け入れてもらえると
急速に
感覚としては、自分と一体となり
一体感ゆえに
自分の中にある様々な自分が抱える歴史を
その人に結びつけて
その人を見ているようで見ていない
そんな事によくなる
ちょうど
欲しくても得られず諦めていたものが手に入ると
嬉しすぎてショート起こして
何も感じない時のように
(これはショックすぎる時にも起きるけど)
そんなものは欲しくなかったかのように
扱ったり
素知らぬ態度をとったりする
そうして
その人にとって
すごく大切な人に違和感を感じさせる
(カウンセリングでは、この違和感を取り上げたりするのだけど)
一体と感じなければ
そんな風にはならない
そういう意味では
他人には善良になれる
他人には感謝を告げられる
そんな資質を自分の中にみたり
他人の中で感じたり
そんな行き違いの相談を受けたり
自律というのか
その人の中に揺るぎない自分がいれば良いのだろうが
いや揺ぎなくても
それでも人と繋がりたい願いを消す事は難しい
最近
私は思う
自分と、一体と感じる事は
感じたいと願う事は
幸せに通じないのではないかと
幸せというものも
一歩引いた客観性?
相手の個を認める、侵略しない領域を意識する
そんなものが必要だと
「いつも一緒にいてほしい」
「おまえ、こういう所直したら」
「全ての行動を把握していたい」
そんな気持ちが何故起きるのか?
そんな所を見つめ直す事も必要かもしれません
そしてせっかくのプレゼントに相手が素っ気なかったら
それはフリーズしているのかもしれません。
あまりに嬉しすぎて。。。
ゼラニウムと息子
2015年10月11日
先日に引き続き
今日も息子話題で。
昨夜息子が訪ねてきた
私が頼んでいたちょっとしたものを持ってきてくれました
そこで気づいた自分の変化
息子を愛していることに変わりはないのに
そこに数々の私の心の痛みや分かり合えない苛立ちや悲しみ
今の現状への不満
そんなものが泥だんごのように一緒くたになって
しばらく息子の前ではぎこちない私がいました
「こんなこと言ったらなんか詮索されちゃうかな」
「また傷つけちゃうのかな」
「あーでもいいたい」
みたいな(笑)
でも私考えたんです
何を一番願っているのかって
それは息子の幸せ
人は自己満足だけでは本当の幸せを得られないと思っています
そのことも含めて
彼が幸せを感じて欲しいことを
素直に願うことにしました
思い出すと彼の幸せを願っています
「どうか彼が幸せでいられますように」「より幸せになれますように」
これをするようになって少しずつ少しずつ変化して
昨夜はとても息子との時間が穏やかで幸せなものでした
思うことをさらっと言葉にすることもできました
散々悩んだから今があるのかな。。。
最近蚊に悩まされているという息子に
ゼラニウムのオイルを渡しました
患部につけると治りが早いよ
それより蚊が寄り付かないオイルのが良かったか。
次回はそれをプレゼントしよう
帰り際に
おいでおいでと手招きして
嫌がる彼を無視してハグしちゃった
息子の幸せ
2015年10月02日
私には息子がいます。
もう27歳の大人です。
でも先日家の前を夜に通って
部屋が暗かったから
仕事しているのかと思ってSkypeしたら
なんと窓に光が漏れないようにアルミホイルしてると返事が。。。
(唖然)
本当なら朝日を浴びるほうが健康に良いとか思うし
たまには外に出るように映画に誘ったりしますが
私の心中を察してしまい
見事に断られてしまう始末
一応仕事もしているようですが(農家)それも仕事と言えるのか?という状態なようで
母としては離れているだけにじれったい思いを抱いています。
息子は生まれつきの難病があり
普通に楽しんだり悩んだりする機会を奪われてきました
発達障害も持っていただけに
4世代という大家族の中で
なんでああなの?あんな子がいることが恥ずかしい
などと言われ、試練を味わってきました
その結果が今なのだと思い
受け入れているつもりでも
アルミホイルなんてことを聞くと、私の心が穏やかでいられません
私がこの道に入ったのも息子のことがあってだと理解しています
親って
特に母親って
因果な商売です
なんの得にならなくても
その子の生きる道を
のびのびできる方向を探るように
考えてしまいます
今夜、息子の幸せを改めて願いました。
自分の幸せを噛み締めるからこそ
娘とは違う
息子の幸せを願う私がいました
「お前らしくあればいい、でも自分に嘘つくことなく幸せになってほしい」(合掌)
気づき
2015年09月26日
気づきは大切で
大好きなゲシュ先達者のももちゃんは
気づきを【小さな悟り】だと言っています
あなたは 気づいていますか?
例えば「あーそういうことか」「あー納得」「感覚がつながった」これらを気づきと言います
人は体の気づきは勘違いだと思いがち
「なんか今日は変だな」といった調子です
本当は変ではなく、気づきが起こっていたりするのですが
心の気づきは気付くだろうと私など思ってしまいますが
上手に自分を責める方向にチェンジしている
「あれあれ?」
環境も気づきに加担しているのですが
環境が自分の良いように動くはずないとして
「たまたまラッキー」
特別視してしまいます
そしてまたいつもの感覚に戻ってしまう
気づきに気づくから行動が変化するので、
頭で気づけばいいと理解しても
それは全く意味をなしません
あなたは自分の感覚を信じていますか?
多分自分の感覚を軽んじている人は
年々増えていると思う
それは理屈に全くあっていないから
いや
あっていないというより
関係ないから
(そして理屈に合うことを重視する風潮は年々高まっていると思う。曖昧さを受けいれる土壌は以前より確実になくなっています)
でもいくら「こうあるべき」と理屈で思っても
心が納得しなければ
行動は歪んだものとなり
相手にあらぬ要求までしてしまう
自分の中で感じている感覚
そのことを、どこまで信頼できるかが
自分の生きやすさにつながるのだと思っています
ただ
残念ながら
他責をする人に
悟りは得られないでしょう
悟りというのは
自分の中を振り返ることでしか得られないものです
他責をする方は
もっと根本的問題を抱えた方
自己愛の問題を抱えている方が多いです
交流分析というものを知っている方は
どうして第3の立場と第2の立場では
第2の立場がより良き道に近いと書かれているのか考えたことがありますか?
そこにも関わっていることです
第3の立場の方が自分は楽ですが、変化は難しいでしょう。
相手も自分もオッケーの道に行くには
自分という存在の中で気づきが必要なのです
あなたは気づいていますか?
「あーそういうことか」と気づいた時
人の心の中で起きることは
活性化、ウキウキ、ワクワク、納得感、
そして自分への信頼です
腑に落ちる感覚を大切にしてほしい
そのお手伝いをいつもしています。
カウンセリングは
病気の人がするのではなく(もちろん病気の人もしますが)
日常の中で苦しくなった時に
自分の中で腑に落ちるためにやってくるものだと思う
「あーそういうことか」の次に出てくる言葉は
「今の自分でいいんだ」です
そしてその時まで出ていた症状はなくなっているものです
今日も「常に感じていた痺れた感覚、耳の奥の痛みがなくなっていた」と話していました
よかった
楽になるためにカウンセリングはあるのです
そこもっと知ってほしいな。
成長の過程
2015年09月25日
ネガティブな感情を持つ
それは誰にでもあること
しかしそれが時間的にも深さ的にも果てしないものになる時
私たちの心を脅かす
あなたにはそんな経験はありますか?
そこから変化したいと思った時
それはあなたの再生への道
生まれ変わったあなたになるための
道が始まります。
他責のネガティブさを持つ方は、こんな日記は読まないでしょう
これを読んでいるあなたはきっと
自身をつい責めてしまったり、相手に気を使いすぎる方
そこからの変化の道は繰り返し
螺旋のようなものです
変化は必ずしているのですが
「またか」と思うことを繰り返していきます。
例えばこう
家族にようやく自分の気持ちを「私はこうしてほしい」と言えた。
やったぁ〜。小さなガッツポーズ
しかしそれが職場になると
あーやっぱり言えない。私はダメだ。
そんな気持ちにとらわれる。
また例えばこう
大切な存在に「私、本当はこんな風に思ってる」
言えた!小さなガッツポーズ
でもシチュエーションが変わっただけで
あれ、やっぱり言えない ダメだ、全然できていない。
本人は全く良くなっていなくて
ただ行きつ戻りつしているように感じるこの現象
でも本当は少しずつ上に登っていて、
また同じような場所に来ると同じような過ちをしてしまう。
まさに螺旋状態
でもそれは必ず、そこから抜け出せる
それは思いもしないところからやってくる
その人によって違う経験になるだろうけど
その経験を通して、「あれ?私全くネガティブでない」
そんなことに気づくことでしょう
ただ
一人でそんな経験をしていても
そのことに気付けないかもしれない
そんな時に気付いてくれる人の存在があるとスムーズに変化していけるよね
私は私というカウンセラーがそばにいてくれたからスムーズに変化していけた
そして今また
私は同じ経験をしている
幸せの道も同じなことに気づいた
だいぶ前から
幸せな自分がそこにいた
もう充分だと思っていた
でも変化しきれない自分もやっぱりそこにいたし、それでいいのだと思っていた
一生変わらないものもある
それは私自身のこと
それはあなた自身のこと
他人には触れることができない部分が人にはあります
(触れてはいけないといった方がいいのかも)
でも
私はそれを自分では満たせないことに気づいていた
でもあることをきっかけに満たされることも知りました
不思議です
ネガティブから抜け出そうと思った時も
「あーまたこの気持ちだ」
ということを繰り返してきました
でも幸せへの道も
もうずっと前に「あーもう充分だ」と思っていたのに
同じ言葉を心で繰り返すことが多いです
同じ事象ではなく、都度ちがう経験をし
その度に同じ言葉を心でつぶやいている
人ってもしかしたら
幸せになる時も不幸になる時も
たとえ気づいていなくても
どこかで繰り返し「あーまたこの感覚」とつぶやいているのかもしれません
マズローの欲求段階説
ご存知な方も多いですが一般的には5段階説
実はこのように7段階説だったことはご存知でしょうか。
欠乏欲求の場にいる時は
いつもいつでも下に下にと引っ張られてしまうのです。
自分で意識していなくても
自分が満たされたい思いに駆られてしまうのです
以前、高次の欲求に行くことを頭で、理論で、納得しようとしている方がいましたが
それはできないのです。
どこかで「じぶんを大切にして」と要求してしまうものです
それは当たり前
誰だって自分を愛しているのですから
そしてネガティブな自分を脱して
つまり欠乏欲求が充分に満たされると次に待っているのが成長しようとする欲求
成長欲求の中にいる人は
いつでもワクワクしています
そして同時にざんねんですが、自分だけではここまでいけないのです
物理学でいったら、量子波動ーフラート
明治大学の諸富先生の話によれば
人間を超えた何かと結びつく
私の言葉では
現実に起きていることが本当だと信じきらない
人が持つ「イメージの力」
これを信じて持つことが
人にとっては本当に大切なのだと知りました
そしてここからは主観だけど
こんな風にイメージの力を持てるのは女性だけ
元始、女性は太陽であった
平塚らいてうの言葉を思い出します
男性は女性には叶いません
少しヒーリング的話になりましたが
全て私が経験してきたことです
あなたの螺旋は
どんな風に空に昇っているのでしょうね
怒りは自分を守るもので自分を攻撃するもの
2015年09月19日
一昨日に「守るべきものと戦うには怒りも必要なのです」と
そして昨日は「自分の中の怒りの正体は「自分の中の傷つき」」と
結局
怒りは必要であり
怒りは傷つきで、変化は難しくまるで不必要であるかのように書きました
一体どういうことなのでしょうか?
「怒り」はとっても不思議な役割をします
私は、そもそもなぜ様々な仏像の中に怒りを表現するものがあるのかが不思議でした
仏像は拝むものです
心穏やかにするために助けになるものだと感じていました
だからとっても違和感を感じたのです
でもいつの時代にも
「越後屋〜おぬしも悪よのう」「いえいえ、お代官様ほどでは」
的な人物はいて
自分の利益しか見ないサイコパス的人間はいたはずなのです
そういう時に、されるがままになっていては
どんどん侵食されていきます
自分を守るという行為はとっても大切なことで必要だったわけですね
その時の原動力となるのが怒りのエネルギー
怒りは必要なのです
また怒りを
ふつふつと抱えている人は火山のマグマのような存在です
これは出されるしかないタチのものですが
時に
人間が出来ていて決して外に出さない人もいます
こういう方は
きっと自分自身を責めることにもなるでしょう
ものすごく人の良い「仏の◯さん」などと言われる人が
案外と病魔に倒れることはあり得そうな話です
怒りの扱い
難しく感じてしまいましたか?
怒りを自覚しているのに溜め込むと
怒りはさらに嫉妬や妬み、恨みとなって相手に向かいます
子育てなどで
朝から怒っては…と思いとどまったものの
昼になり夕方になる頃には
爆発!そして反省…
よくあることですね
怒りを感じられない、怒りが苦手な方は怒りを意識して
まずは形から入ることもオススメです
笑いはおかしいから笑うのではなく
笑っているうちにおかしくなってきて、いろいろ活性されるものです
同じように一度「ばかやろう〜」と叫んでみる
大きな違和感で、それでもできない方はカウンセリングを受けてみてもいいかもしれません
でもそうではなく、常に怒りを感じている人は
その怒りは自分をも責めることにつながることに気付けないと。
イライラしていることは
体に良い影響を与えるわけがないですものね
どうしても怒りをコントロールできないことを感じている、
そして変化を望んでいる方は
カウンセリングが必要です
(自分がそう自覚していない人にカウンセリングは意味を持ちませんが)
そこにあるのは「自己愛」の問題だからです
どうしてそこまで傷つきやすいのか
どうしてそこまでして自分を守らないといけないのか
それはもしかしたら
誰も自分を守ってくれる人がいなく
自分で自分を守るしかなかったのかもしれません
正当な怒りを感じられる健全な自分だったら
些細な怒りを些細なことで小さくプチ発散させるのが一番良いと思います
「ムカッ」「ナニ!」
私は小さくつぶやきながら
怒りを逃し、自分の小ささに笑っています
「あーこんなに些細なことに怒る自分はまだまだだな〜」っと
多分一生「まだまだだなぁ〜」と思い続けることでしょう
それでいいのです
完璧な人間などになれるわけがないのですから
怒りを抱えてしまう人
2015年09月17日
前回「ひっそりと心優しい人々」について書きました
今回は「怒りを抱えてしまう人」について書いてみようと思います
前回の書き出しはこうでした
「人に何かを言われて、頭にくる人がいる
それはある意味当たり前だと思う
怒りを相手に向けたり
体で、表情で、表現したり
時に制裁を加える人もいる
怒りを内に抑えてふつふつとしたものを抱える人もいる」
そんな怒りを外に出してしまう人というのは
一見尊大で
自分自身に大きな自信を持っているように感じます
怒りというのは自分の正当性を主張する意味も持ちますので。。。
では、本当にこの人たちは尊大なのでしょうか
実は怒りを身にまとっている人の多くは
とっても傷つきやすい人たちなのです
ちょっと意外かもしれません
でも事実はそうなのです
自己愛の傷つきが関係しています
私たちは誰でも濡れた傘を体に押し付けられたら
怒りを感じますよね。
それはもう反応といった位に感じることです
「自分の服が濡れて気持ち悪い」「傘の持ち主の気遣いのなさにあきれる」
ほら、自己愛が傷ついていることに気づきましたか?
自分の服は自分のもの、それは愛着の対象です。
それが濡れて自分自身も体に生地がまとわりつく感触を味わないといけない。
自分がおとしめられている感覚です
気遣いのなさに〜を感じるあなたは普段から他人へ迷惑をかけないように
色々と気遣っていることでしょう
なぜ気遣いを大切するのか、社会のルールという事もありますが
そのルールに従わないとどうなるのか
自分が脅かされる、不安になる
それはまさに自分の中の安心安全を守りたい事に通じるでしょう
わたしは気遣うのに、なぜあなたは同じようにしてくれないの?というこれも
自分が大切にされない怒り
怒りというのは衝動的に起こるもので、他人へ向かうものですが
そこにあるのは自分自身が傷つけられたという思い
その思いが強い人ほど怒りが強くなりがちです
たくさんたくさん
それはこちらが思いもよらないところで傷ついています(思いもよらないところでが大事)
当人は「傷つけられた」と感じているのです
こちらはなんの事かわからないのに怒りをぶつけられる
その当人がパワーある人ならまさしくパワハラ
そんな見方をすれば
傷つきやすい事が見えてくるのではないでしょうか。
そして怒りをもって相手を打ち負かすことは自分の傷つきを見ないで済む
最良かつ最高の手段です
自分の弱さなど感じなくて済む
むしろ自分の強さをアピールできるのですから
ここまでくるとこういう人を周囲が変えることができるかどうか
見えてくるのではないでしょうか
自分の弱さに向き合えない人は他人の指摘に耳を傾けることはありません
DVやモラハラをする人を変えようとすることの無意味さがここにはあります
もちろん本人が変わりたいと願えば変化への道は大きく門戸を開いてあなたを受け入れるでしょう
自分の中の怒りの正体は
「自分の中の傷つき」
あれ?怒りは必要なものだったのでは?
では次回はそのまとめを。。。
ひっそりと心優しい人々
2015年09月17日
人に何かを言われて、頭にくる人がいる
それはある意味当たり前だと思う
怒りを相手に向けたり
体で、表情で、表現したり
時に制裁を加える人もいる
怒りを内に抑えてふつふつとしたものを抱える人もいる
でも頭にくるより、かなしくなる人たちもいる
自分の悪いところはないか我が身を振り返り
こんな自分の有り様を残念感とともにかなしく思う
世の中で
ひっそりとそして健気に生きている人たちだ
かなしくなる人に
実は怒りがないわけではない
でも怒りより
我が身を振り返ることを自分に課してきた生き方を選んだ人だから
自分の中の怒りを認めることに抵抗を感じるのも事実
怒りはついつい自分ではなく相手に向かうものだから
そんなものが自身にあると認めることは
すなわち振り返っていないことを意味するから
とてもできない
しかし私たちの感情として元からある怒りは人が生きる以上意味がないわけではないもの
平たく言えば必要なものなわけです
そして怒りを感じない方は、往々にしてエネルギーが不足している
「どうして?」
それは見えていない強いエネルギーの「怒り」を押さえ込むことにエネルギーを使っているから
でも
怒りを感じることは自分を守ること
実はとても大切なこと
そして感じない方はないのではありません
隠されているのです
また心の優しさと怒りは対抗するわけではないのです
ひっそりと心優しい方は
怒りは優しさに敵対するとどこかで感じています
でも本来は違う
本当の優しさは、時に強さを必要とします
守るべきものと戦うには怒りも必要なのです
わたしはね、
あなたのかなしみも含む、心の優しさは
人間性の高さにつながるのだと私は思います
そしてそこにどうぞ強さも兼ね備えて欲しい
あなたにはその素質があるのだから
そう願わずにはいられない…
(次回は頭にくる人について)
この世は男と女だけー8月30日の講座の振り返り
2015年08月30日
本日、「男女のコミュニケーション」と銘打って
講座をさせていただきました。
男性と女性の違い、そしてなぜここまで違う、男と女という存在がこの世にいるのか?
私は女ですから、女の心理は理解できます。
でも改めて男性という存在を知るにつれ
この違いすぎる存在がなぜこの世にいるのか
本当に不思議に思います。
でもこの世の中の自然界に無駄がないことを思えば
必ずそこに意味はあるわけです。
今の私の思うところ、たどり着いたところで
本日の講座を開かせていただきました。
結局突き詰めれば
男女ではなく対人間のお話になっていきますが
いろいろな気づきを受講者の方々がお持ち帰りいただけたようで
私もホッとしています。
参加者の方々の感想の一部をここにご紹介したいと思います。
良かったこと
男性へのお願い、女性へのお願い
(それぞれの特性を踏まえて、どんな事にそれぞれの努力が必要なのか。)
ワーク
(それぞれの人の価値観の違いを改めて見直しました)
言葉のかけ方
(自分が下手にでていると、他人も同様に扱うというお話)
参加しての感想
発達(障がい)の問題ではなく、男女の仕組みの違いもあったという事が知る事ができた。
考え方の違いは、自分に非があるわけではないんだと思えてホッとした。
()は、松戸の補足です。
良かったこと
女性の思考パターンが、一目瞭然でわかったこと。
男女双方の視点が平等に扱われていた事。
感想
期待以上の収穫がありました。
自分の思考パターンの一端が新たに思えてためになった。
(この方は、自身の事を普段からしっかり振り返っていらっしゃいました。)
良かったこと
男性脳と、女性脳の違いを意識できた事が、今後の職場の運営に役立ちそうです。
感想
とても楽しく勉強させていただきました。
(女性の部下もいらっしゃるという事で、早速役立つと仰っていただきました。)
私が伝えたい以上に
皆様、しっかり受け取ってくださり、
感謝の思いでいっぱいです。
これからもより良き講座になるよう
努力していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
理不尽な人生
2015年08月19日
時に人生はなんと理不尽なのだろうと思う
可愛く生まれたかった
背がもう少し高ければ
生まれた子供に障がいがあった
子供が退学を余儀なくされた
自分自身、これからという時に病に侵された
伴侶に死に別れた
あんなに欲しかった
あれほど願ったことはなかったのに
それさえも手に入れることはできなかった
私たちの人生は
自分の思うようにいかないもの
そしてなんらかしらのそんな心の痛みを持って
人は生きている
生き続けている
人生に巻き起こる理不尽さに
戦いを挑むこともあるだろう
なすすべもなく受け入れるしかない時もあるだろう
人生って決して楽しいだけのものではなくできている
だからこそ楽しく生きようとするのかもしれない
見たいものだけ見ていようとするのかもしれない
でもその辛さに向き合えた時
その人は一歩成長するのだと信じています
苦しみ、かなしみ、辛さは夜明け前の暗闇と同じ
マイナスの感情は飲みくだされ、消化され
吸収される時には優しさになっている
そんなことを思うと
人生は理不尽ではあるけれど
同時に平等なのかもしれない
そして他人と比べ嘆いていた自分が
いかに豊かになっているか、いかに浅はかなのかは
自分では気付けない
そこでも他人が必要
自分の欲望に邁進していることと
自分の心の傷を痛みを持って慈しんでいることは
全く逆でありながら
物事の裏表でもあるのだと知ると
人生は少し違ったものに見えてくるような気がします。
次回の講座内容「男女のコミュニケーションを中心とした愛の講座
2015年08月10日
「この世は男と女だけ」
~男女のコミュニケーションを中心とした“愛”のお話~
☆全く違う生物とも言える男性と女性☆
男性と女性の違いを見つめていくと、つくづく違うなぁ~と感じます。
それなのに、異性がいないと受胎もできず、相手が必要ときてる…
それだけではなく、片思い、恋愛、結婚問わず、異性への関心は老若男女あることでしょう。
そんな存在への興味の根底には、“自分を理解してくれる存在を欲している”のだと思うのだけど、こんなに違うのに!と、私は改めて思ったりします。
不思議だと思いませんか?「きっと理解してくれる」だけを取り出したら、同性の方がずっと分かり合える気がします。
でもそうはならないのは、それが必要だから。
自分と全く違う存在があることが、私たちに何かしらのものをもたらせてくれている、そんなふうに思います。
また、そんな恋心なんてなくても、仕事上関わらなければいけない存在が異性ということもあります。
この“全く違う存在”と、関わり合うことを余儀なくされる。
お互いの『反応の仕方』や『脳の作り』が違うことでの摩擦や苦悩は「ありえない!」といった思いは、きっと誰しも経験されていることでしょう。
例えば
女性部下:ちょっと相談が…
男性上司:ん?なに?
女性部下:あのー、今の仕事に不満があるわけではないですし、業務上で誰かがイヤっていうことではないんですけど~
男性上司:で?
女性部下:あのー、、、えっとー、、、
男性上司:で、何!!?
こんなことも『男性脳』と『女性脳』の“違い”が引き起こしているのです。
“違い”は“違い”でしかなくて、決して“間違い”ではないのです。どっちがいいとか悪いとか、優劣、善悪ではないのです。
でもね、やっぱりこんなに違う存在なのに、この世の中には男と女しかいないのです。
せっかく全く違う存在がいるのですから、この存在を知らないまま人生を終わらせる、いや憎しみさえ抱いて否定するなんて勿体なさすぎます!!!
お互い惹かれ合ったり、反発し合ったり、職場でも、家庭でも、交際でも繰り広げられる人間模様…
そんな切っても切れない関係を改めて見直してみませんか。
ご参加お待ちしております。
●募集要項
どなたでもご参加いただけます。
例えば、こんな方に参加して欲しい!
・今のパートナーとうまくいき続けるポイントを知りたい方
・パートナーとの関係性を見つめ直したい方
・男の子を持つシングルマザー
・女の子を持つシングルファザー
・次の恋愛・結婚は絶対に失敗したくない方
・男性の職場で活躍されている女性
・女性の部下を伸ばしたい男性上司
・女上司に不満タラタラの男性
・異性とのコミュニケーションに不安のある方
・“愛”という言葉が好きな方、気になる方 e.t.c.…
●開催日時
2015/08/30(日)13:00~15:00
人数制限がありますので満員の折には
15:30〜17:30の会を設けます。
●参加費
3,500円(税込)
※当日現金にてお支払い下さい。
<会場>
株式会社Newty事務所内
『RentalSpace & WorkshopPlaza 町屋サロン みんなのわ』
https://www.facebook.com/machiya.minnanowa
http://newty.jp/corporation/access/
〒116-0001 東京都 荒川区町屋1-33-8
TEL & FAX 03-6883-3599
※東京メトロ千代田線、京成本線、都電荒川線、「町屋駅」より徒歩10分弱
<お申し込み>
下記お申し込みフォームからお願い致します。
http://u111u.info/my8G
※上記入力にて正式申込となります。
<お問い合わせ>
info@newty.jp
よろしくお願いいたします。
ポトス
2015年07月29日
もう何年も我が家にあるポトス
とても強いグリーンなので
枯れる事はないのですが
冬を越すとすっかりこのケースや、この土では
物足りない状況になり
生えてくる葉が
とても小さかったり、変色していたり
それで心痛みながらも
我が家ではこのケースがジャストサイズなので
このケースにあわせて植え替えをします
これが今年も植え替えたポトス
よく見ると
中心に近い所の葉は
植え替えのショックからか
葉の様子がおかしいですし、枯れている部分も
でもその先は?
美しい緑に覆われていますよね
よく見ると最初から、美しい葉が出ている部分もあります
私たちは、ついつい
この最初から美しい葉が生え揃う事に憧れます
素敵な人、悩みのなさそうな人、何か秀でたものを持っている人に憧れます
そして自分の身がそうでない事を嘆くことがあります
憧れに向かって努力していければそれは目標
植物や動物にはない、人間らしさ
でもその憧れが恨みや妬みに変わったら?
それはこの少し変色した葉のような状態をずっと続けるということ
これも残念ながら人間だからこそのこと
もしかしたら心が枯れてしまうかもしれません
それよりこのポトスのように
今ある自分をただ一生懸命に生きていくことこそが
先の美しい緑を保証するものだといえませんか
目標ではなく、妬みになりそうな時
そんな自分に気づけることも大切な自分磨きなのかもしれません
大好きだけど大嫌い
2015年05月08日
私の中によくある感情の一つに
「大好きだけど大嫌い」
というものがあります。
なんだか矛盾しているようだけど
実は誰の心にもあるのだと思います。
わかりやすいのは、親に対して、子に対して
かもしれません。
親はもちろん大切な存在だけど、どこか鬱陶しい。
子どもはかけがえのない存在だけど、ちっとも言う事を聞かないので、大嫌い
これらの気持ち、誰でも一度や二度は持った事でしょう。
食べちゃいたい位好き
なんて、言葉もありますが、これは大嫌いとはズレますね。
それでも好きと嫌いはやはりコインの裏表なので
可愛さ余って憎さ百倍
可愛い部下に裏切られた時には、
こんな感情を持つのかもしれません。
「好き」と「嫌い」
好きという感情は肯定的に受け止められる事が多いですが
嫌いという感情は
自分でも受け入れられなかったりします。
あの人が嫌い
自分が嫌い
でもね。
嫌いは自分のシャドウなので
どこかにある好きの裏返し
それに
嫌いがわかっているからこそ
好きがわかる。
そんな風に「嫌い」に接してみると
私の中ではどんどん嫌いが小さくなっていきます。
結果
「大好きだけど大嫌い」
になるのかもしれませんね。
帰るところが人には必要
2015年04月06日
帰るところがあるからこそ
打って出る事ができるのだと
ふと、思い至る。
強い事を言う人には
惹かれるが
それはそう見えて
実は帰る所がある事がほとんどです。
全てをなげうってるなら、それは博打。
そして、帰る所があることに
気づいていようが いなかろうが きっとその人の心の拠り所になっている。
その拠り所は、
人かもしれない。地域かもしれない。
何かと決める事はできないけれど
確かにあるもの。
強くなれないと、自分を卑下する方が時にいるが
それは方向性が間違っている。
前に出る事ばかり考えるより
帰る港を探すことが先決。
帰る所があれば人は強くなれる。
怒りは色々なものとくっつきたがる寂しがりや
2015年03月05日
この土日は、ゲシュタルトの学びでした。
ゲシュタルトというのは、
いつでもその人の「今」に自然とフォーカスされていくので
今の自分がよく見えてきます。
今の私は怒りや違和感と向き合うのだと
改めて感じています。
私の中にある怒り
「怒り」という感情は
とかく良くないものとされ
以前「怒りのセミナー」なども開催させていただきましたが
その中では
怒りの取り扱い方、向けられたときの対処など
学んでいきました。
巷でも
マネジメントしましょう。無くしましょう。
と、されています。
しかしリアルに向き合ってみると
意外と嫌なものではなかった。
不思議なほどに。
そこで、何故?
と、私なりに考えてみると
怒りという感情は
他の感情と結びつきやすい存在だと思ったわけです。
私の場合は、かなしみでした。
しかし
恨み、怨み、妬み、孤独感、自責感、空虚感
こういった感情とも結びつきやすい。
そしてこれらのエネルギーが大きいほど
怒りは恐怖的なものへと変化していくように思います。
私がみた、怒りそのものは
とても可愛いものでした。
やんちゃ坊主の駄々っ子のようでした。
可愛かった。
しかしそこにかなしみが紐付かれ自責感が紐付かれると
何ともいえないものに変化していました。
誰の中にもある「怒り」
毛嫌いせず
見つめてみませんか?
楽になれます。
子どもは遊びの名人
2015年02月21日
子供たちは遊びの名人
様々なものを遊びにしていきます。
私たち大人は
子供が集中して遊んでいると
これ幸いとばかりに家事をこなそうとします。
かつての私もそうでした。
子供の一日の中には
一人集中する時間と共に
大人や他の子供たちに関わる時間も同じようにあるなら大丈夫。
でももし、一人で遊ぶ時間ばかりでしたら
それは大人があえて関わる必要があります。
子供は遊びの名人ですから
一人で遊ぶことにどんどん長けてきます。
しかしそれは同時に
関わることが苦手になっていくということ。
ここに発達の凹凸のある子ですと
感覚過敏が加わるので
非常に周囲と関わる事に、困難さが増します。
あえていうなら、その子は皮をはがれて裸で放り出されたような気持ちかもしれません。
そしてなかなか頭で理解はできても
腑に落ちない大人は
自分の感覚で子供に接するので
子供にとったら非常に侵入的に感じて泣き叫ぶわけです。
そんな子供とどう関わっていくのか
つい私たちは、普通と違う子供に対してうんざりします。
接し方がわからないのですから当たり前なのです。
同時にそれで良いわけがありません。
親も幸せを感じてよいはずですし
子供は幸せになる権利があります。
こういった研究や実践は日々進歩していますから
私も日々学びですが
そんな家族の問題にも
寄り添っていきたいと願っている私がいます。
本日も子どもの事を考えるカウンセリングでした。
どの子も健やかに育ってほしいです。
朝に思う
2015年02月04日
私のクライエントさんは
優しい方が多い
優しすぎて、自分をとことん譲ってしまい
その後に
「誰も自分をわかってくれない」と嘆いたり
周囲にぶつけたりしてしまう
本当は、最初の時点で
そんなに譲らなくてもいいはずなのに
優しすぎて、自分を主張する事はいけないことだと
体が思ってしまっている
そうして
孤独を、かみしめている
譲りそうになるには
やっぱり理由があって
頭で理解しただけでは
簡単には、我慢を手放せない
「あー、そうかぁ」と腑に落ちないと。
自分を主張するばかりも
困ったちゃんになるけれど、主張しなければそれで満足なんだと周囲から軽く見られてしまう。
適度に主張し、適度に譲るには
練習が必要
また、譲れない自分、主張できない自分を受け入れる事も時には必要
生きるって一生勉強なんだと
思う朝
カウンセリングルームご紹介
2015年02月01日
カウンセリングルームのご紹介になります。
ご希望場所や日時によって
お選びいただく事が可能です。
どうぞよろしくお願いいたします。
辛い朝に
2015年01月29日
うまくやろうと思っても
何故か空回り
自分のダメさ加減にイライラしつつ
そこには目をつぶり
周囲を責めたい自分に気づく
空を仰いでも
誰かが何かをしてくれるわけではなく
ため息だけがこだまする。
そんな時もあるよね。
そんなあなたに私は気づいています。
あなたの心の内に思いを馳せています。
辛いときもあるけれど
心がホッとする時もきっとある。
そんな日が来ることを信じて
今日もいってらっしゃい(^^)
自己肯定感
2015年01月26日
自己肯定感を持って幼少時を過ごしてきた事が
こんなにも自分の人生を揺るぎない物にしていくのかという事をある人の断片から感じます。
と、同時に
そういう方は
そう多くはいない事も感じます。
幼い子を持つ方には特にその事を知ってほしい。
また
自分が嫌いな人は
好きになる努力をしてほしい
揺るぎない人にはなりようはないけれど
努力した分だけ、返ってくる物はある
そして
その努力は何かをする事とは違うのかもしれない。
残念なお知らせ
2015年01月20日
こころオフィスでも取り扱っています
バッチフラワー各種製品が、2月より値上げとなります。
イギリスの製品という事で、どうしても経済の影響を受けてしまいます。
大変心苦しいのですが、皆様の
ご理解とご協力を、宜しくお願いいたします。
(なお、値上げ前と言うことで注文が集中してしまい、一時的な欠品でお待たせしてしまう事もありえますが、どうぞ宜しくお願いいたします)
(以下原文のまま)
販売店各位
バッチフラワー小売り価格変更のお知らせ<重要>
平素よりバッチフラワーの販売を頂き誠にありがとうございます。
さて、自民党の安倍政権の大胆な金融緩和政策の影響により、
日本の円に対して米国ドルはもちろん、
英国ポンドは昨年よりも約20%前後の上昇を続けています。
これによる仕入れ原価の上昇を受け、2015年2月から小売り価格を最大で9%ほど変更をいたします。
バッチフラワーは100%英国からの輸入品であり、為替の影響はどうしても避けられません。
また今回の安倍政権の再任により、この傾向はさらに継続される見通しとなりました。
販売店の皆様にはご理解とご協力のほど何卒よろしくお願いいたします。
実施期日は2015年2月2日(月)の受注分からといたします。
新価格は下記一覧のとおりです。
改定価格一覧<2015年2月2日改定>
・バッチフラワーレメディ(38 種類)10ml
2,200円 ⇒ 2,400円
・レスキューレメディ 10ml
2,200円 ⇒ 2,400円
・レスキュースプレー20ml
3,200円 ⇒ 3,200円
・レスキュースプレー7ml
1,800円 ⇒ 1,900円
・レスキューペット 10ml
2,200円 ⇒ 2,400円
・レスキューナイト 10ml
2,200円 ⇒ 2,400円
・レスキューナイトスプレー20ml
3,200円 ⇒ 3,200円
・レスキュークリーム 30g
2,200円 ⇒ 2,400円
・レスキュージェル 30g
2,200円 ⇒ 2,400円
・レスキューパステル(オレンジ/ブラックカラント)50g
1,550円⇒ 1,650円
・フラワーBOX セット(40 本入)
78,565円⇒ 85,700円
※ 表示価格は全て税抜きです。
2014年12月
株式会社プルナマインターナショナル
代表取締役 矢吹三千男
お買い上げに悩まれていらっしゃる方はどうぞ今のお気持ちについてご相談ください。
お待ちしております。
国際遺伝子治療フォーラム
2015年01月13日
本業ではないけれど
子どもとの経験を通して
私自身が感じてきた事、考えてきた事、思い、願い
そんな事を話してきます。
それにしても
思ってもみなかった大舞台に一番驚いているのは私自身かもしれません。
瞑想
2014年12月18日
「瞑想」がもたらす効果は
計り知れないということがわかってきました。
瞑想には、三種類の方法がありますが
そのどれもが
様々な効果をもたらすようです。
私がよくお勧めするのはマインドフルネス。
自分の中から沸き起こる感情をただ眺めるという方法です。
脳科学で今明らかになりつつある効果は
瞑想によって、
何かにはまり込む、つまり依存を抑える効果から
痛みの軽減、炎症作用を抑え免疫力アップから
うつ状態の改善、
気分障害にも効果有り
そして対人職によくある燃え尽き症候群まで防ぐというのです。
一般の方にとっても
注意力増強、また高齢者の孤独感に対して、孤独の辛さ軽減
さらには寿命をのばす可能性まで示唆されました。
そういえば僧侶は長生きの方が多く、質素な生活が良いのかと思ったりもしましたが、瞑想の効果かもしれませんね。
まだまだ細かくは書ききれないほどですが
私もよくマインドフルネス瞑想実践しています。
他人に心を脅かされなくなりました。
どうぞ皆様もお試し、いえ日々実践してください。
とても穏やかになれますから。
大木を見て
2014年12月11日
こんもりととても形の良い街路樹
人間もこのようにのびのびと
大きく生きたいものです。
何故か悩みが深いほど
人は細部が気になり
全体をみる事ができなくなるように感じます。
自分のこういう所が嫌い
人のこういう姿が気に入らない
良い所、悪い所含めてそれが人間…
の、はずなのにそうはいきません。
割り切る事ができたらずっと楽だろうに
時にあえていばらの道を進んでいるようにさえ見える事があります。
かつての私も色々悩みましたから
細部が気になる気持ちもよくわかります。
しかしなぜ?と問われると私もよくわからない
悩む事で、自分の存在を確認していたのかもしれません。
悩みが深くて自分が大好きという方はあまりいなく
今の自分が好きではない、今のままではいけないと感じている方がほとんどですから
自己を否定しているわけですね。
それでも人間は自分を大切にしたい気持ちが心の奥深くにはありますから
自分を否定し、細部を見て更に悩みを深める事で、それを考える事で
自分は確かに生きていると確認しているようにも感じるのです。
人間はめんどくさいのではありません。
悩みを持つほどに自身でめんどくさくしているのです。
そうせざるおえないものがあるのです。
肩の荷物を降ろすお手伝い
これからもしていきたい。
この大木を見ながら感じた朝でした。
体は心に関わっている
2014年12月04日
子どもにとって親との関係は、
その子が初めて見るもの、聞くもの、感じるものを
どんな風に見るのか、どんな風に聞くのか、どんな風に感じるのか
その人の信念体系の青写真になります。
またその信念体系が姿勢、体のつくり、動き等に影響を与えていきます。
子どもにとって「もっと頑張る」ように叱咤激励される家庭に育ったとすると
その子の姿勢、仕草、動きはこれらの影響を受けて形作られるでしょう
更にあなたがあなた自身であるから愛されているのではなく、あなたがそれを達成しているから愛されているとしたら
おそらく筋肉は緊張感を持つ事でしょう。
私たちは愛されるために一生懸命生きている側面があるのですから。
自分が達成するもの全てが低く評価される環境に育つと
胸がくぼんで、腕に力が入らず、呼吸が浅いかもしれません。
その人の体は、子供時代の認められない、主張できない、自信がないといった「あきらめ」を反映したものになるでしょう。
(パット•オグデン著より)
そしてその姿勢や動きの傾向が
いままで培ってきた信念を更に強固なものにしていきます。
自分の姿勢、体の動きについて知る事は
変化の第一歩となります。
私自身、以前はとても早歩きでした。
男性も抜かしていく早さです。
何をそんなに生き急いでいるのか。
いまは違います。
多くの方に抜かされていきます。
抜かれる事が気にならない。
他の方とスピードが違っても気にならない。
どうであっても自分は自分と思える今があるからです。
変化する事は誰でもできるのです。
自分を知る事から初めていくのです。
でも自分の事こそ気づけないからこそ、伴走してくれる存在が必要なのです。
昨日ご相談の中でこんな話しがありました。
知り合いや友人にも話しはできる。
でもそこには頑張ってみなよという励ましがついてくる。
本当は何がいいのか、考える事ができないと。
こんな風に寄り添ってもらえてよかった。と。
いつもいつまでもそんな存在でありたいです。
マインドフルネス 催眠療法 ソマティック心理学 ①
2014年11月25日
久しぶりにこの3日間、心が揺さぶられていました。
私の前に現れた方を前に
共に居れるために
自分自身にも向き合い続けていきたい
そんな思いを新たにする日々でした。
瞑想しながら流れ落ちる涙は
哀しいわけではない
苦しいわけもない
喜びに満ちているわけでもない
自分でも言葉にうまくできませんが
「人って…」そんな思いでした。
しかし涙というのは「癒し」の効果があるのだと
つくづく。
ひとしきり流れ落ちる涙に任せていると
フッと楽になる時がやってきます。
あれこれ思わず
流れに身を任せてみる
するとフッと楽になるのだと知りました。
これはきっと涙だけではない
全てにおいてそうだと思える私がいます。
繰り返しますが
その時にあれこれ思わずというのが大切。
意外と難しいのですけどね。
マインドフルネス最高です。
「怒り」と「おどおど」と
2014年11月04日
表面的には全く違うようでも
奥深くでは通じ合っている2人。
どんな2人…
怒りをにじませ、いつも人に対して批判的な気持ちを持っている人と
おどおどとした態度を取りがちな人
全く違うようでも
この2人は惹かれあいます。
自分への自信のなさという面では
いつもそうではなくても
例えば妻の前では暴君になってしまう夫だったり
この人の前では上目遣いになってしまうそんな自分だったり
相手にぶつけるパターンとそれを受け入れてしまうパターンが
カギ穴にカギがはまるようにはまってしまう。
いつもおどおどしている人が自信がないのはわかりやすいですが
いつも批判的な人が自信がないだなんてちょっと意外かもしれません。
でも逆を考えれば一目瞭然。
本当に自信のある人、大きさを感じさせる方が
相手の行動、態度をいちいち批判するでしょうか?
そこにあるのは
自分の位置を上に持っていくために
相手を貶めているという事実
怒りは…
特に女性に対して表現される男性の怒りは
男性自身の弱さの現れと私は思います。
だからこそ、その弱さを自覚してほしい。
男性が弱さを自覚していれば
それを包み込む強さが女性にはあるのだから。
さて
同じような言葉を発していても
ちょっとした態度、視線、行動によって受ける印象が
こんなにも違う事に自身驚きを持って感じています。
それは相手の無意識が染み出るように表現されているのだと思わざるおえません。
つまり自分自身を理解している度合い。
それが無意識の中でにじみ出るのでしょう。
口だけで「弱さを自覚している」と言っても
それはにじみ出てしまう。
一方
おどおどしてしまう自分がどう自信をつけていくのか、
自分への信頼を獲得していくのか
どちらにしても
長年かけてできた今の自分
変化も緩やかなものでしょう。
でも変化したいと思えば
変化は可能なわけなのです。
それはあなたの心次第。
私は自分の変化を通してそう断言できるのです。
皮膚と触れ合い
2014年10月29日
子供を抱きしめていますか?
あなたは誰かと触れ合っていますか?
あなたは自分自身を抱きしめていますか?
誰かに触れてもらう心地よさは
子供が抱っこやおんぶをせがむのと一緒
異性を求める大きな理由の一つ
そしてそれが叶わないなら
自分で自分を抱きしめてあげよう
左の手で
頑張っている右手を撫でてあげてください。
ガチガチの肩に優しく触れてあげてください
何故か無意識で触れる事はあっても
意識的に自分に触れる事を躊躇する人は多い
誰のものでもない自分なのだから
自分で自分を愛おしんでほしい。
特に男性は女性より多く触れないといけない
オキシトシンの受容体自体が減ってしまうから。
歌を忘れたカナリアのようになってしまわないように。
私たちの心は脳と考えがちだけど
脳だけではないのです。
いくつかあるのですが
皮膚もその中の一つ
「感情は筋肉に宿る」
嬉しいとき、皮膚はつやつやとし、表情も明るくなるでしょう。
怒りに身を震わせているとき
身体は緊張し、かちかちにしているに違いありません。
哀しみにうちひしがれている時
身体は脱力し、肌も生気がなくなります。
そう、心は身体に表れるのです。
皮膚は人間最大の臓器というほどの大きさを持ち
胎児の時に作られていく過程では
脳や神経系と同じ外胚葉に由来した組織です。
脳や神経が緻密な作業をしているのと同じように
皮膚も実に多くの事を感じ取っています。
なのに私たちは
そこに気づかないように生きているだけ。
各臓器と皮膚が繋がっている事は
経絡やツボからも
理解しやすいのではないでしょうか。
皮膚は私と他人をわける境界の役目もしますし
人との繋がりを確認する役目もします。
私を形作っている この表面にある皮膚に
気づいてあげてください。
少しでてきたお腹も、
お疲れのふくらはぎも
頑張っている肩も
全てあなたを支えてくれています。
そして多くの情報をあなたに与えているのです。
脳や神経を愛おしむ事はできないけれど
皮膚はそれができる唯一の器官です。
充分に存分に愛おしむ事を怖れないでください。
台風が過ぎて
2014年10月14日
二週間続けての台風に
被害のあった地域もあり
自然の力はとても大きいものです。
そんな自然の力の前では、私たちは全くの無力。
インターネットも、自分が培ってきた知識も
意味ないものだと思えてきます。
無力と言えば
人生の中ではどうする事もできない時というのは必ずあって
どうして自分の人生にこんなことが起こってくるのだろうと
天を仰ぐしかないという事があります。
そんなとき、怒りも涙も意味をなさない事を知っている私たちは
諦めと共に笑ってしまうのかもしれません。
またそれさえも意味がなくなった時には
ただただ
立ち尽くします。
こんなことを言うと反感を買ってしまうかもしれませんが
怒りをあらわにできる、また涙で泣き尽くせるのは
まだ精神が正常なのかもしれません。
でもね、こうも思うわけです。
ただ立ち尽くすしかない
そんな経験さえも
マイナスだけではないものを自分に残すものです。
人を強くするし
潔くもなるものです。
そして物事への謙虚さも身に付けます。
何がいいわけではないけれど
台風が過ぎ去り、今朝の美しい空を見ると
必ず嵐は過ぎ去るものだと信じたい
そんな朝です。
めんどくささとおひとり様
2014年10月08日
新生活も、すでに4年を過ぎ
ここまでの生き方、生活の仕方を振り返るこの頃です。
生活する事に一生懸命だった1年目
勉強に明け暮れた2年目3年目
自分を見つめた4年目
そしてこれからの自分を考えるわけです。
男女のコミュニケーションについてとても興味を持っている私は
様々な人の姿を見ながら考えるのです。
依存や甘えは人間らしさを謳歌する為に必要なものだと思っています。
でも同時にやり取りの落としどころが難しいとも感じています。
つまりめんどくさいものでもあるわけです。
だからこそ
そんな面倒な所にとどまる事はやめて
「おひとり様」を選択する人も増えているわけです。
より自分らしさを追求していったら
相手に関わるより、自分を追求する方が
自分のこだわり
自分らしさを
極められるようにも思います。
でも
めんどくさくも自分を生かし相手も生かす
そういう選択もあるわけです。
人といる事で一人では得られない
驚きや喜び
それだけではない哀しみや苦しみも経験する事になる
そんな豊かなそして面倒さを極めようとされている方々も多いわけです。
さて私はどんな人生をこれから歩もうかと
改めて思うわけです。
怒りを手放すセミナー
2014年10月07日
『怒りを手放す心理学セミナー』
~怒りの感情を大切な人にぶつけない自分になる~
ご参加いただきありがとうございました。
怒りの持つエネルギーの大きさを伝えながら
怒りも必要な感情である事。
しかし扱い方を身につける事こそが重要な事
そんな事をふまえながら、
怒りの対処、怒りの浅さ、奥深さ等多岐にわたりお伝えして参りました。
癒しの視点から
身体からのアプローチも体験していただきました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
尊重するって
2014年10月02日
男女の関係について
いつも不思議だなぁと思うのです。
なんでこんなにわかりあえないのに
共にいたいと思う人が多いのだろう?
プラトンの饗宴の中にでてくるように
人は片割れをいつも求めているのでしょうか?
その一方
経済力をつけた女性は結婚なんて面倒と仰る方も
増えているように思います。
さて
以前、女性は男性に従い、男性は女性性を敬う
というような投稿をしましたが
似て非なるものを感じるのです。
それは
女性性の包容力を持って
愛情として相手の望むようにしてあげる事と
自信のなさから相手の顔色を見るという事
時に女性自身も愛情と勘違いして言いなりになっていたり
顔色を見てしまう自分に嫌気がさして
おかしな所で自己主張してみたり。
きちんと自分を持っている女性はそんな事はないのでしょうが
そんな女性も多いと感じています。
私自身もある時の一言に対して
「これって迎合している」
そんな事を思ったりするのです。
今日は どんな一日になるのか?
だらだら過ごさないように
自分を律していきます。
皆様も良き日に♪
怒りを手放すセミナーでは
ワークを多く取り入れて実際に怒りについて
気づきに繋がるようにしていきます。
皆様よろしくお願いいたします。
http://etoilies.com/event.html
小学校
2014年10月02日
今朝は感慨深い朝です。
実は昨日で小学校を辞任してきました。
私は気づいたらいなかったといった風に
消えたいと常々思っていたのですが
皆様の温かいお志に
こうして華を持たせてもらえる嬉しさも満喫させてもらいました。
たいした事もしていないのに
もう忘れていたような出来事をカードに書き出して
御礼を言ってくださる方。
同じ時期にこちらの小学校に着任したからと気にかけてくださっていた方
子供たちからのメッセージも用意してくださったり
自主的にカードを作ってくれる子もいました。
関わってきた子は
シャイで、もう昨日は一日、目もあわせてくれませんでした。
極めつけは帰り際に泣いてくれる子もいて
そんな姿を見ながら
私はどれだけこの学校に貢献したのかな?
もっとできる事はあったはずという思いが少なからず自分の中にはあったので
やりきったという思いには繋がらなかったというのがが後悔と言えば後悔でしょうか。
しかし行政なので逆に立場的にできる事が限られるというのも
現実なんですけどね。
今朝はゆっくり
頂いた栗の渋皮煮を頂きながら
昨日の事を感じています。
色々な意味で
ここが区切りだなと思います。
仕事もプライベートも
次の段階にいくようになっているのだと思う。
さてそんな変化を更に促進する為に
本日これからばっさり?
カットにいってきます。
どんな風になったかはセミナーまでのお楽しみ(笑)
今回のセミナーはゆったりとした雰囲気でできそうなので
個人的なお話を伺ったり、したり
できたら良いなと思っています。
今からでも御参加お待ちしています。
変化中のみゆきに会いにいらしてください。
セミナーについてはこちら
http://etoilies.com/event.html
怒りの中には愛がある
2014年09月25日
怒りの奥にあるもの
哀しみの奥にあるもの
不安の奥にあるもの
全ては愛なのかもしれない
幼い頃
家族の中で満たされなかった思いは誰もが持っているもの
そう誰でも持っている。
怖がらず、不安がらず、
そこを見る事ができたら
しっかり見つめられたら
今のあなたがしてきた全てが繋がって
自分への信頼が増していきます。
愛の中に身を置く事の不安は
多くの人の中に見て取る事ができます。
多くの男性は不機嫌を表します。
多くの女性はヒステリーか哀しみ
愛をただ受け取る事って意外と難しい。
相思相愛と思っているそのすぐ後ろにそれが待っている。
信頼は自分を知り、自分を伝え、相手を受けとめる事。
不機嫌もヒステリーも怒りという感情を持って
表現されます。
奥深い怒りというものもあります。
すぐにしっかり自分を見つめられなくても
その入り口に立つ事は変化のスタート地点に立つ事。
怒りを手放すセミナー
お待ちしています。
詳細はこちら▼
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親子の中の怒り
2014年09月19日
子どもをつい怒ってしまう事
私もかつてはよくありました。
なぜこんな事も頑張れないの?どうして最初から諦めちゃうの?
やってもみないのに「どうせ」などという姿に腹が立って仕方ありませんでした。
でも叱っても叱っても子どもは心が離れていくばかり
叱ってやる気が出た事など一度もありません。叱られるからその「ふり」をするだけです。
それが見て取れるからまた腹が立つ。
そんな繰り返しでした。
今そんなかつての子どもたちはできる事をそれぞれの中で頑張ったり努力したりしています。
私がする事はいつも一つ。
話しを聴いてあげるだけ。背中を押してあげるだけ。
「学校辞めたい!」「どうしたの?」
たったこれだけです。
じっくり話しを聴いていると最初は投げやりに「もういい!」などと言っていた子どもも
次第に心を開いていくものです。
そして自分から答えを見つけてきます。
親なら誰でもそうですが、「こうしてほしい」願いがあります。
親のエゴですが、親だからこその願いなのです。
願いは自分の心に持っておくもの。
それを子どもに押し付けてはいけません。
それは大概「怒り」という形になって子どもを傷つけますから。
親であるあなたの中の願いはなんですか?
本当はどうして欲しいのでしょうか。
その気持ちに親であるあなたが気づく事が一番最初にすべき事。
その上で子どもと向き合い、受け止めそしてしっかり伝えていく。
その上でできる事、考えられる事を話し合っていく。
親子の中の怒りがコントロールが一番難しいものかもしれませんね。
怒りについて向き合ってみませんか?
http://etoilies.com/event.html
日々の悩みの解決には
2014年09月17日
夫:「今夜、帰ったら一緒に片付けしよう」
妻:「うん」
(でも夫も疲れて帰ってくるのだから早く帰宅する私がした方がいいわよね)
頑張って片付ける妻
夫:帰宅後部屋を見て「ありがとう」
そんな事が二度三度続き
妻:「疲れた〜」(なんか私「一人で」いつも頑張ってるわ)
「一人で」がキーワードになってイライラしている妻
夫がその日は飲んで帰宅
妻:「あなたは好き勝手できていいわよね。イライラ」
夫:「?」しかし売り言葉に買い言葉で喧嘩勃発
少し極端ですが
こんなやり取りはよくあるのではないでしょうか。
最初は思いやりから始まった頑張り。
一人空回りしてしまう妻
最近は妻に尽くす事に疲れた夫も多いですが
まだまだ日本では子育ての中心は妻である事が多く
気遣いを要求される事は女のことが多い気がします。
感情に揺さぶられがちな女性
感情はないのかと妻になじられる男性
カウンセリングは何も心の病気にかかっている人だけではなく
こんな些細なやり取りから
夫婦の中が上手くいかない
子どもとの関わりが難しい
ごく日常のあれこれに
さっと寄り添う存在でもあるのです。
家族の悩みって誰にでも話せるものではありません。
でも日々の事ですから悩みは結構深刻です。
そして何よりも一人では気づけないものなのです。
それはなぜ?
私たちは自分自身の思考の癖があるのです。
癖というものは他人と比べて気づくものです。
食事の仕方なら他人と食をともにする事で気づけるかもしれません。
喋り方の癖なら指摘されて気づけるかもしれません。
しかし思考の癖は気づきづらいですし
気づいても指摘しづらいものです。
だからこそ安心な中でのカウンセラーなのです。
日々の中でのやり取りを見ていく中で
あなた自身に気づいてみませんか?
小さな悩みが解決するだけで
驚くほど日常が楽になれるものです。
怒りを向けられたら
2014年09月12日
怒りを向けられて
平常心でいられる人はあまりいないです。
「なにしてるの!」
「どういうつもり!」
こんな言葉に
身体は縮こまり
心臓はドキドキ
しかし人と関わる上では
こんな場が決してないとはいえない
いやむしろ現代は増えているようにさえ感じます。
そんな時の
心持ちについても
考えていきます。
皆様御参加お待ちしています。
詳細はこちら▼
http://etoilies.com/event.html
怒りについてのセミナー
2014年09月11日
「怒り」について考えてみると
なかなか面白い感情だなと思います。
エネルギーがあるのに嫌われる事も多い。
それは他人からも自分自身からも。
嫌われものなのに、抑える事は相当に難しく
火山の爆発のような様相を呈してしまう事もある
かといってこれがないと他人の侵入を許してしまって
自分を守れなくもなってしまう
年齢と共にこの感情はまるで私たちの身体にたまるアブラのように
私たちの感情を支配し
頑固な存在を作っていく
頑固さはアイデンティティでもあるけれど
この怒りについてしっかり知っておかないと
制御不能となってしまう
10月5日(日)に怒りについて考えるセミナー開きます。
2時間半では私の講義で終わってしまうけど
いつかこんな話しをシェアしあえる時間を作りたいな。
だって理屈で人は変わらない。
自分の経験を話してそこにある意味に気づいて腑に落ちないとね。
でもまずはそんな感情のあれこれについて知っておく事が重要
皆様の御参加お待ちしております。
詳細はこちら▼
http://etoilies.com/event.html
共にいたい
2014年09月04日
共に暮らすって
とても面倒な事だと思う
それは犬にしても人にしても
それでもどうして
共にいたいと思うのだろう
共にいる方がこころが安らぐのだろう
一人きりの時間を過ごすと
全ての時間は自分の為に使う事ができ
全ては自分の好き勝手にする事ができる
その「楽さ」や「自由さ」は何物にも代え難いと思うのに
そう思っているのは私の思考で
私自身や私の気持ちはそう思っていない事を
ふとした体調や夢や自分がしている行動から感じるのです。
「共にいたい」
その中には、気持ちの安らぎや、私を認めてくれる
そんな信頼感と共に
一人とは違って自分が変化できる
成長できる
そんな喜びもあるような気がします。
それに
何故か一人でいると
自分に構わなくなっていくような気もする
今朝もうるうるした瞳で
じっと私を見つめる子を前に
キュンキュン気持ちを揺り動かされている私でした
生きる道
2014年09月03日
人前で話す姿を見て
それは私だからできるのだと仰る方がいます。
昔大家族の中にいて愚痴をこぼした時も
あなただからその家をまわせるのよ
そういわれた事があります。
本当にそうでしょうか?
起こってしまった事に対して
生きていく為に必要な出来事に対して
ただただ向き合ってきただけ
きっと私でなくてもそうした事でしょう
今の自分の状況に対して
誰もが自分にできる精一杯をしていますし
していくしかないのです。
ただその時に
ちょっというべきことを相手に言わなかったが為に
言い方を間違えた為に
段々道がズレていってしまう
これはあります。
自分が思うような方向に行けるように
気持ちの整理や考え方の癖を見つめたり
具体的方策を文殊の知恵で探したり
でもね。
本当はこう思う。
本当に生きたい道は自身の中にきっとある。
そんな自分の本心を見つけていくのが私のお仕事だと。
私自身が本当は家をでたかった
でもそれはダメだと自分で封印していた。
そんな考えはするべきでないと押さえ込んできた。
だから自分で気づけなかった。
でもね、隠しても封印しても
苦しい、辛い、涙は全てを語っている
もう一度いうけど
自分の中に
生きたい道はあるのです。
自分でそれをしまい込んでいるだけ。
そして気づいてほしいと道はあなたにいつもささやいているのです。
「早く気づいて」と。
早起き
2014年08月29日
人間「楽」をすると、以前のように戻るのはなかなか大変です。
今朝は仕事で5時起きですが
「早いなぁ」と思っています。
農業していた頃は夏は枝豆をとりにいくので
大概目覚めは4時台でした。
あの頃からしたら今は楽なのに
それでも「あ〜ぁ」などと思ってしまう自分がいるのです。
そんな自分を眺めながら
「頑張ってるね」とか「昔は大変だったね」とか「朝早いからいやなんだね」などと言ってあげてるわけです。
こんな風に自分で自分を認めてあげると
少し元気が出ます。
さぁ今日もよろしくお願い致します。
明日は食と心理のセミナー
みなさんの朝食はいかがですか?
一日の活力を作る食事ですから
ご自身の状況に合わせて召し上がってくださいね。
無邪気
2014年08月28日
何ともいえないモヤモヤした気持ち
大概はこんな事と棄てたり
モヤモヤを明らかにしても気持ちが落ち込むだけだとあえて見つめなかったり
そんな事ばかり。
すると段々自分の気持ちにも気づかなくなっていく
それは
喜びも、幸せも感じないという事
こんな人生何が楽しいのだろう。
無邪気な自分が好きです。
子どもな自分です。それでいい。
自分の気持ちに素直だから無邪気でいられる。
実は無邪気は最強!
邪気が無いし、邪気が近寄れないから。
もっと無邪気になろうよ。
それこそがありのまま、自分らしさ、個性だと思う
大人である事なんかただの大人しいつまらない人
思考ばっかり働かせて、頭ばかりグルグルさせて
モヤモヤしてばかりいないでね。
でも
モヤモヤさえも棄ててしまわないでね。
セミナー開催もうすぐです
2014年08月26日
「食と心理学セミナー」
〈食のコントロール術を学ぶと自己コントロールもできる〉
いよいよ今週末30日の土曜日となりました。
このセミナーを開くにあたって色々調べていくうちに
食べる事は生きる事なんだなと
身体を作る側面からも心を養う意味からも
そして生きる意欲を培う事からも
つくづく感じています。
みなさんは日々食に意識を持っていますか?
夕べも仕事帰りの深夜のコンビニには多くの方々が夕食を買い求めていました。
いくら本当は作った方がいいとわかっていても
そのスキルもなければ、時間もないといった所でしょう。
でもそこに問題意識を持っているのといないのとでは
休日の行動が変わります。
食を選ぶ目が変わってきます。
あなたの食事ではいけませんなどというつもりは全くありません。
でもあなたの中に食を気にする小さな芽、目、愛を持ってもらいたい。
今回のセミナーではそんな「め」を持ってもらえたらと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
http://etoilies.com/event.html
孤独
2014年08月22日
自分らしさと自分勝手
自分でいいとわがまま
ある側面から見たら「らしさ」でも
違う側面から見たら「勝手」なのかもしれない
でも
勝手はいけないからと
他人に気に入られる事ばかりを考えていると
私は苦しくなってしまう
自分らしく生きるとはある部分で
嫌われる事を受け入れる事だと思う。
それは孤独を愛することにも繋がるような気がします。
自身が不安だったとき
孤独はとても恐怖でした。
でも今は違う。
孤独を愛する力も身に付いています。
食と心理セミナー
2014年08月21日
http://etoilies.com/event.html
自分の変化
2014年08月13日
他人に自分の気持ちを伝えられないと
他人から何かいわれる事は大きな恐怖だったりする
人にこうしてほしいと要求できないと
自分の事を指摘されたとき
反発したくなる
そんな自分が悪いのではなく
それはそうしていないのだから当たり前の事なのです。
だから自分を責める事は無意味
自分の気持ちを伝える前は
「嫌われるのではないか?」とか単に「そんな事いえない」だったのが
ドキドキしながら伝えてみると、
思いのほか相手は素直に受けとめてくれたり
するものです。
もちろん頭ごなしな言い方は相手も受け取れませんが
言い方を考えて伝える事はとても大切
そして伝える事が自然になると
他人からの指摘を素直に受け取れる自分になっていたり
傷つかなくなっていたりして驚く事があります。
いつでもいつからでも人は変化できるし成長できるものです。
写真は仲良しな大根♪
大切な事
2014年08月07日
正しさ
大切なものなのだろう
しかし時には人を追いつめる
愛も与えられすぎれば
怒りになる。
自分の中におさめておく、自分で完結する
これは基本だと私は思う。
命
2014年08月06日
昨日のニュースで
自殺してしまった方がいましたが
テレビではありますが、その姿を見ていたので
小さなショックを受けています。
とても頭がきれる方と報道されていたし
技術の最先端をいかれる方でしたから。
「命を絶つ」
死にたい気持ちに襲われる時
理由は様々でも
どうにもならない気持ちなのだろう
そんな状況になってしまった時には
頭の良さなど関係ない
むしろ思考はなんの役にも立たないし
地に足をつけて生きる事の大切さを思ったりします。
「命」
それはその人のものであるけれど
その人だけのものではない
命はそんなに簡単なものではない
死にたいとこぼしていた自分がいうのも変ですが
やはり命の重さは相当に重くて
一つの命の終結は
周囲の魂を畏れおののかし
私たちの心を脅かす力があります。
まぁ普段命を意識する事などないとは思いますが
やはり生み育てる性を持つ私は
命には敏感になってしまいます。
そんな大きな事でなくていいのです。
日々の小さな幸せを大切にする事が
命を大切にする事に繋がる気がします。
グレートマザー
2014年08月05日
「グレートマザー」という言葉をご存知でしょうか。
ユングの考えに基づくネーミングですが
母性の強さから物事上手くいかない
そんな姿を見るにつけ
この言葉を思いだす私がいます。
私たちは皆、母である女性から生まれてきました。
母は良くも悪くも偉大な存在です。
そして父親以上に大きく影響を受けています。
逆にいったら、父からも母からもDV受けたとしますと
多くの子どもはより母を憎むものです。
子どもからしたらより愛されたい対象で
大きな存在ですから。
しかし
母親からしたらなぜ私ばかりとなるのかもしれません。
さて
この関係は通常の親子ばかりに限らず
母がいない事で、娘が父に対して
母の存在となることもありますし
男性が母との関係に問題をはらんでいますと特に
独身の女性が相手の男性に対して母の役割を選ぶ事もあります。
母のいない父子の関係ですと、父が母の役割をとる事もあるのです。
母という存在は守り育む側面と共に
相手を飲み込む存在でもあります。
そう考えると
「守る」という言葉は常に「手放す」事を心に秘めておく必要があるのだと思うのです。
母性はとても大切ですが
自分を苦しめ、相手を苦しめる事もある。
そんな事を知っておく事も必要ではないでしょうか。
電話カウンセリング:キャンペーン
2014年08月01日
所属しているボイスマルシェからお得なキャンペーンが始まりました。
私の電話カウンセリングを受けてみませんか?
3000円分無料です。
http://mag.voicemarche.jp/whatsnew/201408pre.html
どうぞよろしくお願いいたします。
「そのままでいい」とは
2014年08月01日
「そのままでいい」「ありのままでいい」「あなたはあなた」
こんな言葉を良く聞きますし
自分で自分を苦しめるような事はもうやめてほしいと願い
私もお勧めしています。
しかし頑張っている方こそ
この言葉によって
頑張るという杖を外されるのではないかと
非常に不安に思うようです。
それは例えるなら
まだ見ぬ恐竜を恐れているようなもの
子どもの時の自分は確かに丸腰でした。
周囲の言葉に何一つとしてやり返す術はなかった。
せいぜい小石をひとつ投げるくらい
でも今の自分は違います。
様々な経験を通して色々な武器も手に入れました。
立ち向かう事も時には勇気ある撤退をする事だってできます。
蓋を開けたら大きな恐竜と思ったものは
可愛い子犬ということもあります。
そして何よりもここが重要ですが
「そのままでいい」というのは
もう金輪際何もしないという事ではありません。
例えば私
ありのままでありたいと願っていますし
自分の思う事に嘘をつきたくないと生きています。
しかし、思いもよらない友人の言葉や態度に挙動不審にもなりますし
それを過不足なく相手に伝えるより、
自分で納めたり
自分が行動してしまう事もあります。
そんな意味では、いまだ達成できていませんし
未熟者です。
でも頑張っています。
そして同時に自分の気持ちを知っていてあげる事は自分にとって非常に大切な事なのです。
しかしその事が理解できない方が多いし
その為にカウンセリングはあるのだと思っています。
そこにエネルギーを使う事は生きていく価値を変えると
私は自分の経験から思いますし
それを仕事にする事を選んだわけです。
逆説的ですが、丸腰の自分では
「まだ未熟」だとは逆にいえません。
虚栄、虚勢をはってしまうのが常です。
「そのままでいい」というのは
ある意味ではこの虚栄をはる事をやめませんか?というお誘いなのかもしれません。
いえ、虚栄をはっている事を自覚的にするならそれも充分ありなのです。
でも自分をごまかす為についしてしまうと
その後に襲われる感情はとても苦々しいものです。
自分はダメを確認するような類いのものです。
そう…
そんなものに頼らなくても
あなたは沢山の知恵をもう手に入れています。
人生を生きてきたという事はそういう事です。
そしてまた
常に人には新しい課題が出てきます。
そこに向き合わなくていい「そのまま」ではない。
これから先はあなたの人生。
悩んだ時はご相談お待ちしています。
言葉と自由さ
2014年07月31日
言葉は、人間が持つ素晴らしい道具
メラビアンの法則では、言葉そのものより音調、語調、態度や雰囲気で
人は他人を判断すると言われています。
それはその通りなのですが
人間の口から発せられる時点で
言葉は様々な衣装を身にまとっているわけです。
そしてその言葉は相手へのギフトとなるだけでなく
自分自身にも大きな影響を与えていくわけですね。
だからこそネガティブな言葉は言わない方がいい
ポジティブに生きていかなきゃ。
などと言われるのです。
この事については、異論がある私ですが
今日はその話しではなく
言葉を発する事で自身が影響を受けて変化していく
変化の素晴らしさをお伝えしたい。
人それぞれ自分を解放する言葉というものがあるのだと思います。
私自身もこんな言葉を発する事へのためらいを感じる言葉もありました。
今もあります。
でもそのためらいを外していく事は非常に自分自身、自由になっていく感覚があります。
そしてこの言葉は相手に投げつけるのではなく、自分の為に使われる性質のものです。
頭にきた時には「大嫌い!」と叫ぶ事も必要なのです。
愛を感じたら「愛してる」とささやく事も大切なのです。
心で思うだけでなく言葉にすると大きな自分のエネルギーとなります。
心理療法の一つ「論理療法」では
一日のうちで一番気分がいい時間に
拳を振り上げ50回、その人の中にある悩みの種
つまりは嫌われたくない感情などに対する言葉を言う事を推奨します。
そうして自分の中の強さを育てていくのです。
少し話しがそれました。
自分の中のエネルギーがないと感じている方は
きっと自身で何かを抑えているものです。
それでいいと納得されていれば私がとやかく言う事ではないのですが
羽を伸ばす自由さを手に入れてみると
とてももったいない気がしてしまうのです。
それくらい気持ちの楽さが違いますから。
どうぞあなたがあなたらしく生きていけますように。
「遊び」は大切
2014年07月30日
発達障がいを持つ子どもたちは
言葉を字義通りに受け取ったり
ジョークが通じなかったり
つまり真面目な子が比較的多いわけですが
真面目という事は
逆に言えば「遊ぶ」事が下手なわけです。
就労と余暇は切ってもきれない関係。
余暇を教えておかないと
休日の過ごし方に困ってしまい
良くない人のカモにもなりかねません。
家族と時間を過ごす事が多い夏休み
子どもに遊びの計画をさせてみるというのも
良い経験になるのかもしれませんね。
食と脳内ホルモン
2014年07月25日
当たり前の事ですが
私たちは食べたものでできているのだとつくづく思うのです。
食べたものがエネルギーになるというのはもちろんのこと
身体がスムーズに動く為にも食べ物は大きく関わっていますし
脳内ホルモンも食べるものや食べ方が大きく関わってくるのだと
知るとますますなおざりにはできません。
「食」はとても奥深いものですね。
そんな生物としてのお話も織り交ぜていきます。
http://etoilies.com/event.html
御参加お待ちしています。
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