主体性について

2020年12月29日

主体性について

最近よく「主体性」について話をしている

「主体性」ってなんだろう?
と辞書を広げてみれば

「主体性とは、どんな状況においても「自分の意志」や「判断」で責任を持って行動する態度や性質のことを指します」

とありました。

例えば
どこかに食事に行こうとする
そんな時
誰かとの関係性があれば過去を鑑みて
「ここに行こうか?」
となるそうですが

ひとりで特に食べたいものや、何かしらの流れもない時
どこに行けばよいのか全くわからずどこにもたどり着けない
そうで。

街を歩いていて、いい匂いがしてきて〜
それは流れがあります
車内の広告を見て〜
それも流れがあります

「この間はここ行ったから、今日はここ」
ってのは?
と聞くと、ある水準以上はどこでも美味しいし
それは妥協の産物って感じが出てくるし、
そもそも「今日はここ」の意味づけが自分の中でなされない

そんなー。
で、結局どこにも入れず食べれないことがあるそうで。

そこででてくる「主体性」

どうも発達課題の勤勉性から、自我同一性への流れがうまくいかなかった
らしい、話はしたのだけど。

そこから、私事としての妄想が膨らむわけ。
主体性って自分の意志、判断をしての行動なわけでしょ。
その意志や判断はそもそも自分のウチから湧いてきたものな訳?

違うよね
環境から学んできたり
学んだ事を実践し自信をつけたりして
少しずつ我がものにしてきたわけだ

そうすると
彼が純粋に今食べたいものと言われると非常に困る

というのが理解できてくる。
純粋にウチから湧いてくるはずないから。

まあ、こんな会話をするまで
そんな事考えたこともなかったので
結構面白がって

主体性と自主性
アイデンティティ
時間の連続性
ADHD傾向のプランニングの問題
自他の境界

などなど調べまくる
彼を混乱させたかもしれない

ちょうど藤山先生の精神分析の本を読んでいたら
「私たちが主体を持っている、主体性として考えているものの場所はどこにもない。略。つまり私たちが自分が一つであると思っているのは大間違いで、ひとつの錯覚として、ひとつであるという感覚が生成されているに過ぎないという思想がある」
「本当の自分なんていうのも、ある意味本当の自分かどうかわからない。」

という文章が出てきた。

何故主体性について、話し合い始めたかといえば
発達障害を主体性のなさとして捉える
という河合先生の本からなのだ

あれ?
誰もが主体性なんてないのなら
皆、発達障害になってしまう

一周回ってスタートに戻ったような気分だ笑