何をしていても自分はいる

今年に入りジムに行きだし他人との違いを知りました。

身体はボロボロなのに私は動けるのです。そこで動けるに任せてると神経痛出て歩くも怪しくなる。

だがそんな状況の他人はそもそも動けない。トレーナーも用心、無理させない。私は無理とわからず無理を続けてしまう。それは生き方でも同じだでした。

自分の意向を置いて他人に合わせる事が「普通にできた」アクが強くないし都合の良い人。そうすると合わせられない所をむしろ責められてしまう。「もっとできるだろう」とね。自分に鞭打つのも大概にしないといけない。

むしろ「普通にできる」事の凄さと出来るからこそ自重して程々にすることが大切。

この事で彼に「安全装置が壊れている」と指摘され装置を壊す事で安全を作ってきたのは皮肉でした。しかしそんな風にしか生きられなかった過去は過去として愛おしみたい。

そしてジムは、自分を大切にしたいひとつの行動でしたが、ここでも生き方の一端が見えた事が面白い。人間は何をしていてもその人がいる。